ぼんやりとTVをザッピングしていたら、姜尚中、高橋源一郎、ピーター・バラカン、鹿島茂、佐野史郎といったいかにもこうるさい感じの方々が、“20世紀のダンディーな男”についてあれこれおしゃべりしていたのでそのまま鑑賞体勢に。
熱論の末セレクトされた部門別ダンディーな男は以下のとおりだ。
・マイルス・デイビス(音楽部門)
・サルバドール・ダリ(芸術部門)
・マルチェロ・マストロヤンニ(映画部門)
・エドワード・サイード(政治・思想部門)
・金子光晴(文芸部門)
・・・はあ?こ、これが、20世紀を代表するダンディーな男?・・・うっそぉ。
反射的にそう思ったものの、はて、ダンディーってなんだっけ?
自分の周りをぐるぐる見渡しても、過去をさくっと遡っても、「ダンディー」などという言葉がしっくりくる人物が1人も思い浮かばないところをみると、まずめったにお目にかかれないシロモノであり、それどころか明治時代ぐらいにすでに絶滅してしまった人種なのでは。あるいは“魔性の女”がそうであるように、幻想の産物にすぎないとか。
あえて言うなれば、身のこなしがスマートで洗練されている、ストイックな中にも、なにかしらこだわりのスタイルを持っている、「がんばってます」「ねらってます」的自意識を全く感じさせないこと。 総じてクールダウンが基本なのではなかろうかと、ま、このように思うわけです。
この5人、たしかに全員超がつくかっこいい人たちだけれど、めちゃめちゃ熱いやん。 熱いダンディー・・・すごい違和感あるな。
・・・なんてことをつらつら思いながら、これもまたこうるさそうな林望センセイの『イギリス観察辞典』の「ダンディズム」の章を読んでみた。
「世の世流的な動きに背を向けても、超然とわが道を進む決意を意味する」
・・・そうだったのか。だったらこの5人で正解か・・・?
「百万の敵ありとても、その状況をニヤリと眺める精神の余裕、ユーモアの魂、そういうものがどこかになければなるまい」
・・・そうだったのか。ニヤリか・・・。
最後に、月並みすぎて恐縮ですが、私が思うダンディーな男とは、
白州次郎、小津安二郎、森雅之の3人です。 ・・・おっと、トロピカル・ダンディー(byハリー細野)も忘れちゃいかん。
(2008年3月31日記)