an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

ああ今年も・・・

村上春樹綿矢りさミランダ・ジュライもバルガス=リョサも、はたまた「女子高生がマネジメント」をどうのとか、「どっかの教室で正義」がこうのとか、何一つ話題作を読むことなく終えてしまいそうな気配である。
(・・・こうして年々偏屈おばさんになってゆくのね・・・心静かに自分に合掌)
しかし私とて意識的に流行ものを避けているわけでは全然なく、ついこの間は売れっ子ミステリー作家J・ディーヴァーの大ヒット小説『ウォッチメイカー』をとても楽しんだし、今まさに話題沸騰中の、ポプラ社の・・・ほら、アレ!!

◆百年文庫56「祈」

(056)祈 (百年文庫)

(056)祈 (百年文庫)

・・・ポプラ社だけど、すいません(笑)。
いつからか書店の目立つところにどーんと置かれているシリーズだが・・・うーん、短編3つで750円はちょっとなあと思って今まで様子見していたが(←吝嗇)、久生十蘭、K・チャペック、M・アルツィバーシェフというすんごい組み合わせにテーマ・タイトルが「祈」。これは読みたい。ついに手が出てしまった。
収録されているのは東西の著名な作家ばかりだけど、漢字一字のテーマに合わせてちょっと毛色の変わった短編を拾い集めているみたいで、なかなかユニークな企画本だ。この季節、装丁もおしゃれで気軽にさっと読めるので喜ばれるだろうし、気に入った1冊をクリスマス・プレゼントに添えると貴方の知的イメージがUPすること請け合いである。
http://www.poplar.co.jp/hyakunen-bunko/lineup/
さて、この「祈」。
作品の持ち味は当然それぞれまったく異なるが、「思いがけないある出来事に揺れ動くこころのさま」を丹念に描き出した小品である。それは予想通り“死”をめぐる事柄であるわけだが、「祈」というテーマに即した宗教的な救いを求めるようなものではなくて、消え入りそうにささやかながらも“未来に向かう意志”を感じる出来栄えで、どれもおもしろく読んだ。
中でも久生十蘭の『春雪』は、ファンタジーのような淡いが俗っぽい日常の中にふわりと一瞬浮かぶ印象深い一品だ。
ドストエフスキーの弟、みたいな雰囲気のアルツィバーシェフの『死』は、森鴎外の翻訳がいかにも古風で、現代風にアレンジされたらずいぶん雰囲気が変わるかもしれないな。チャペックの『城の人々』・・・揺れる女心は複雑で辛辣。一筋縄ではいかない。


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柴田元幸さんや岸本佐知子さんら超売れっ子の方々の功績も大きいだろう、今や「翻訳家」といえば、作家に勝るとも劣らないカッコいい響きがあるように思う。翻訳だけでなく、自作のエッセイなども売れるご時世だ。・・・では、昔はどうだったのだろう。
翻訳業界の昔を描いた著作の中から、ちょっぴり渋い本を選んでみましたよ。

◆あの奇ッ怪な映画『ストリート・オブ・クロコダイル』の原作『大鰐通り』を書いたポーランドの異色の小説家「ブルーノ・シュルツ全集」という大仕事を手がけた人、ということで私のアタマの中の「偉い人リスト」(←?)にその名が刻まれている工藤幸雄さんの『ぼくの翻訳人生』。

ぼくの翻訳人生 (中公新書)

ぼくの翻訳人生 (中公新書)

激動の時代に翻弄されつつも(こういう回想録を読むと、戦後まもなくの頃って若い人が様々な理由で、あれよと言う間にバタバタ死んでいくことに驚く)、必死にしがみつくようにしてロシア・東欧文学の翻訳家として一筋に生きる著者の姿に感銘を覚えると同時に、「まこと翻訳家などという職業は労多くして功少なし。・・・むしろ日本語こそをしっかり習得すべきでは?よしなさいよしなさい、外国語なんて。ふぉっふぉっふぉっ・・・・」というような、やや自嘲を帯びた表情を行間から感じ取ってしまった。
さすがに翻訳世界に踏み込んで半世紀、という苦労人の言葉はちょっぴり苦い含蓄に溢れているのだった。

◆『戦後翻訳風雲録』宮田昇

新編 戦後翻訳風雲録 (大人の本棚)

新編 戦後翻訳風雲録 (大人の本棚)

早川書房で編集者として、また翻訳家として活躍した著者の回想録で(ということは主に海外ミステリ畑ですね)、思い出深い人々とのエピソードに絡めて悪戦苦闘話が綴られる。
「信じられないかもしれないが、昭和二十年代には、ミステリー、SFを出版する社は、かならず倒産するという神話さえあった。」
そんな時代を背景に、いかに変人が多くて仕事仲間として付き合っていくのが大変か(田村隆一!!)、海外ミステリの翻訳権をめぐって出版社同士のゴタゴタをどうとりなしていくか(江戸川乱歩!!)、個人的な資質をめぐっての人間関係の危うさ(小林信彦!!)、SFを日本に定着させるのにこんな苦労が・・・等々興味深い話題が尽きない。
どうやら著者は少々酒癖がわるくて、不用意に人に絡むこともあったようだが(笑)、時にはそれによって人の懐深いところに飛び込んでいけたのだろう。恩師または酔師と敬う仏文学者・斎藤正直や早川書房の社長などとの一連のやりとりは微苦笑誘われる名シーンだ。きっと著者は「憎めないかわいいヤツ」だったんだろうなと思う。
それにしても・・・一昔前の翻訳家は、そのほとんどが表現者として名を残すこともなく辛苦をなめた挙句に世を去った人が多かったようで、ちょっと切なくなってしまった。
まあ、それは翻訳家に限ったことではないのだけれど。

◆『ちんちん電車』獅子文六

ちんちん電車 (河出文庫)

ちんちん電車 (河出文庫)

最後にもうひとつ、のんきエッセイのご紹介を。
ちんちん電車・・・今はなき東京の路面電車「都電」への愛着とその風景を描いたものだ。(京都では「嵐電」というのが今も元気よく路面を走っていて、観光客に人気があります)
ユーモア小説作家のその軽妙な語り口は肩がこらず、気軽にゆったりと読める。
疲れてる夜なんて特にいいね。効きますよ。

あの頃は、車内広告がなかった代りに、石版刷りの筆書体で、乗車心得が掲示してあった。“煙草のむべからず”“たんつば吐くべからず”“泥酔して乗車すべからず”“放歌高吟すべからず”等の箇条が、列記してあるのだが、その中で“ふともも出すべからず”というのが今の人の腑に落ちないらしい。

・・・さて誰が何のためにふとももを出していたのか、本書でご確認ください(笑)。
ささ、こんな調子で銀座〜日本橋から浅草まで、文士と一緒に都電に揺られましょうぞ。


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マンガ学部」で全国的に知名度が高い、
京都精華大学のフリーペーパーをカフェで発見。


      


クラフトワークの面々にぜひ読ませたい漫画家”として有名な(?)横山裕一によるデザインがいかしてるぜ。コピーも陳腐な言葉なのに、ちょっとした工夫で目を引きますね。


            来年もぐっとくる本や映画を求めて!
  


(2010年12月19日記)