an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

将棋の話

     
   西に死神とチェスする騎士あれば、東に鬼と将棋指す怪童あり


今でこそめったに盤を出さないようだが、将棋は父の数少ない趣味の一つである。
手近に相手があればとでも思ったのだろう、私が10歳くらいの頃からしきりに将棋を教えたがった。ご存知のことと思うが、将棋というのは飛角金銀桂香歩それぞれの駒が違う役割・動き方をし、それを覚えて使いこなすだけでもけっこう大変なのに、持ち駒、成駒などさらに複雑なルール、制限、禁じ手、そして定跡がある。
一手一手を吟味し長考し、攻めては守り押しては引いて・・・私などにはなんともややこしく、またじれったく、一体どのあたりが楽しいのかと思う。
そういうわけで私も妹も一向に将棋に親しむ気配を見せず、そのうち「近代将棋」だか「将棋世界」だかの何月号を買うてきて、いついつの大局を録画しといて・・・と、体よく使いっ走りに格下げされ、以後お近づきになる機会には恵まれぬ。

将棋そのものには手が出なかったが、「将棋を指す人」には何故か興味をひかれた。
身近なところで発見するとなんとなく「見直した」みたいな気分になったものだし、将棋が強いと評判の近所の一郎くんは京都大学に行ったし(←名前含め実話)、まず「賢そうな人」という安直なイメージが出来上がった。
そして私の年代だと棋士といえば「タイトル戦七冠」という前人未到の偉業を成したスーパースター・羽生善治。いかにも秀才然とした風貌を見て、その安直なイメージは「賢いに違いない」という確信に近づいた。ゲームというよりは、「思考能力を鍛えるための ツール」くらいに思っていた節があるな。
そこへ、「そんなわけないでしょーが」と薄笑いを浮かべて近寄ってきたのは・・・


先崎学『浮いたり沈んだり』◆

自身や棋士仲間たちの、どちらかというとユルい素顔や意外な裏話を、現役棋士とは思えぬこなれた筆さばきで綴られる好エッセイだ。
酒とバクチを愛し(やはり勝負事がお好きな方が多いようです)、途方もない手数の詰将棋をつくり、一手に1時間四十五分を費やし、敗戦の夜は布団にくるまって「わんわん泣いて寝る」。
なあんだ、棋士っておかしな人ばっかりじゃないか。
そもそも阪田三吉升田幸三など伝説的将棋指しは秀才どころか“無頼の徒”みたいなイメージが強いし、そりゃあいろんな人がいる。

さあ、そんな棋界で、一際異彩を放つ二人の人物を紹介しよう。
将棋ファンの間ではどちらも超有名本だが、「そんなの聞いたこともないし将棋もサッパリわからんし・・」という方も多いだろう。だがそんな人でも楽しめる本だと思うし、表紙に怯まず(笑)ぜひ気軽に手にとってほしいと思うのである。


◆『真剣師 小池重明団鬼六

これはずいぶん前にレビューに書いたので少々ダブってしまうが、「仕事は続かず酒はあびる、何度も恩人の金を盗んで(本人は借りているつもりなので悪気なし)どこかの人妻とトンズラ」を繰り返す「はた迷惑な生活破綻者」にして、「天才的な将棋の才能がある真剣師」の半生を、あの団鬼六(アマチュア有段者にして真剣の金主!)が書いたものだ。
最初に読んだときは、このろくでもない男がばっさばっさとプロ棋士をなぎ倒してゆく痛快さばかりに目を奪われたものだが、今回拾い読みしてより強く感じたのは、この団鬼六という人の、「どうしようもない厄介な何かを抱えた人」に対する、我が子を思う慈愛にも似たやさしさだった。口では散々罵りつつも窮地に陥れば金を工面し、自殺すると言われて狼狽し、とうとう彼に「出入り禁止」を宣告すべく強豪との「果し合い」まで企画したのに、いざ小池形勢不利と聞くと「どうしたんだ、小池、しっかりせんか、と怒鳴りつけたい衝動にかられた」りする。
泣きの場面もこんな調子だ。

「お前な、可愛い娘のことを思って、これからはチンチロリンだけはやめろよ」と、私が思わず声をつまらせていうと、小池は、「あれから、改心してチンチロリンなんて1回もやっていません。ドボンだけにしています」とすすり上げながらいった。
「ドボンて、何だ」と聞くと、「ちょっと、チンチロリンに似た面白いバクチなんです」というので私は受話器を耳に当てながら尻餅をつきそうになった。バカの番付ができればお前は大関、間違いなしだ、と怒鳴って私は電話を切った。

これには思わず声に出して笑ってしまった。
著者も電話を切ったあと呵呵大笑したことだろう。
本書は「とにかく、面白い奴だった。そして、凄い奴だった。」という言葉でカッコよく締めくくられるが、私はぜひとも団先生にこう伝えたいね。
「いーや、アンタも負けてない。」


◆『聖の青春』大崎善生

村山聖。こちらは小池重明にくらべたらすばらしい“優等生”だ。
小さい頃から将棋に夢中になり、着実に実力をつけ、奨励会に入り師匠を得、しかるべき手順を踏んで立派にプロ棋士となる。なにもかもが順調にみえる・・・が。
私はTVでの彼の姿をうっすら記憶しているのだが、不自然にむくんだ頬と土色の肌に「この人・・・もしかして病気かなあ」と思ったことを覚えている。膨らんだ頬が童顔をさらに強調していて、ぎこちないスーツ姿に一種異様な空気をまとっていた。
まさしく「怪童」。

彼はその生涯の多くの時間をネフローゼという難病で苦しんだが、将棋界の最高峰A級に到達、名人を目指しながら29歳で世を去った。
こうしてただ事実を並べるだけでもドラマティックなのに、「青春」などという手垢にまみれた言葉をタイトルに掲げたり、幼少期の回想を小説風に挿入したり、終盤でやや感傷的な描写が続いたり・・・といういくつかの欠点(というか、単に私の好みでないだけだが)を持ってなお、この本は実に感動的である。なぜならば村山聖が、私たちと同じように多くのコンプレックスやままならない境遇に悩み、さらに不治の病を抱えた中で渾身の力で前に進んできたことが、きりきりと痛いほど伝わってくるからだ。
師匠・森信雄(この人がまたいいキャラなんだ)やライバル棋士たち(特に闘志を燃やした谷川、敬愛していた羽生)との交流は、長く近くで見てきた著者だけに、いきいきとした珠玉の青春記の味わいがあり、ときに自暴自棄になる姿を、そして最後の最後まで息子を気遣い思いやった両親の無念をも、切実に描ききった。力作です。

彼は中学生のとき、偶然フラリと将棋道場へやってきた小池重明と対局している。
長い長い戦いを制したのは村山で、小池は「先ほどまでの鬼のような形相が嘘のようににこやかになって」村山を称えたのだとか。


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将棋ネタの最後は、愛読している某ブログからの引用で締めくくりたい。
ある大局の一手に感嘆して息もつかずに書き上げた(と思われる)短い文の断片だ。 盤の上に小宇宙が見える・・・棋士たちを魅了してやまないのはそんな世界だろうか・・・

間違いなくそこにあったのに、人々の認識の外にあり、誰にも気付かれなかった一手。
一人の男が、わずかに指先を動かしただけで、それは誰の目にも見える形で顕れ、多くの人の度肝を抜き、ある者には感動を、そしてある者には恐怖と絶望を与えたのです。
これは、この21世紀に確かに存在する、魔法です。


(2012年2月16日記)


追記:葉真中顕さんですね。・・・やっぱり只者じゃなかったという(笑)。