内田樹の著作にこの本がちょこっと登場するので読んでみた。
この人って「フツーとはちょっと違うのワタシ」っぽいアピールをそこはかとなく漂わせてそうで、読んでもいないのになんとなく敬遠しておりました。
小説『コンセント』は兄の死にまつわる葬儀屋さんとのエピソードが印象的でしたが(経験者ならではの重い説得力がありました)、その後の展開はいただけない。あのタイプの女は苦手すぎる・・・ま、これは好みの問題ですね。
で、こちらは原爆だの水俣病だの虐待だの環境汚染だの大きな社会問題を取り上げたエッセイで、当事者に会ったり、被災地に足を運んだりしてはさかんに「実感がない」「私には何もできない」「すぐに忘れてしまう」を繰り返す感じなので「いやに素人くさい文章やね・・・つかテーマがデカすぎでしょ」などと少々斜に構えた気持ちで読みすすめたのですが・・・
うん、それらしいご立派な意見を述べられるより誠実さが伝わりますし、時折見受けられる的外れな不思議ちゃんタイプや自然礼賛の頑なな方々とも一味違う。
あらゆる悲劇に「実感」を持てない私たちがどうしたら変われるのか・・・に対する彼女なりのささやかな回答もすんなり私の中で着地した。「そのとおりね」みたいな(←上から。笑)。
そして内田センセイの著作に登場する「呪い」にまつわる表現も秀逸でした。
私は弱い。
自分が辛いとき、人が私のために苦しむのを見るのが快感なほど弱い。
そのように弱いからこそ、呪いにはまったり、呪いをかけたりしてしまうのだ。
自分が辛いとき、なにもかも思い通りにならないと思っていたが、実はなに一つ思い通りにしてやろうなんて思っていない。辛いというのは「どうにもしてくれない」誰か、もしくはなにかへの恨み。すごい逆恨み。
ご自身の体験を書くとき、一番力を発揮するタイプの方のようです。