an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

著作紹介

今時はお金を出しさえすれば、誰でも自分の書いたものを本にすることができる。
素人ブログの書籍化は日常茶飯事だし、私などは身内に本を出した人間がいるため、一言に「著作」とはいってもわりと冷めたスタンスでいる。しかし、「誰かの依頼を受けて」執筆し、「知らない誰かがお金を払ってそれを買う」となれば話は別、やはり身を乗り出してしまう。
今回は、親しくお話させていただいている方々の著作、それぞれ長く研究された対象について書かれたもので、こうして立派な本になったことを(僭越ながら)ともに喜びたいという思いをもって紹介したいと思う。
また、私自身が大変おもしろく興味深く読んだことも書き添えておきたい。

鳥取県立図書館発行『郷土出身文学者7 尾崎翠

思いのほか美しい仕上がりの冊子に驚く。ツヤのある紙に写真も多く掲載され、思わず同シリーズ「伊良子清白」も買おうかしらと思ったほど。同郷の文学者を大切に、誇りに思ってらっしゃる作り手の気持ちが伝わる出来栄えだ。その中で、lalalaさんが「『第七官界彷徨』と翠」という表題で一文を寄せられている。翠の代表作たる『第七官界彷徨』は私も読んだけれど、正直なところ「んん・・・?」という読後感だった。よくわかんなかったのである。
町子という詩を書くお嬢さんがが風変わりな男たちとの共同生活を回想する、という物語だが、一つ一つのエピソードがやや突飛な印象を受け(元祖不思議ちゃん系かしら・・・)、作者の筆にうまく乗りきれないはがゆさを感じたのだ。
そこを具体的に、非常に丁寧に順を追って解説してくれるし、時代背景や影響を受けた人物や事柄なども追記してくれているので、「そうか、そういうデリケートな心情を扱った小説であったか」と、目の覚めるような思いをしたことだった。
小説を読むのによい伴走者がいてくれるのは幸せなことである。

尾崎翠作品に描かれるのは、神秘思想の難解な議論ではなく、地上の人間による「何処か遠い杳かな空気」への憧憬、また「たましひは宇宙と広い」という感覚を基盤として喚起される爽やかさや歓喜、それらがかなわない場合の失意や悲哀あるいはノスタルジアであるだろう。

◆ 『官能仏教』西山厚・愛川純子・平久りゑ

あいにく官能にも仏教にも疎いわたくしではございますが。
疎い疎いとは言いつつも、山岸凉子の流麗な仏教漫画を愛読しているし、仏像マニアのみうらじゅんが弁天さまの色っぽさを熱く語っているのをよく知っているし、伊藤比呂美の小説『日本ノ霊異ナ話』(エロかったな、これ)をとてもおもしろく読んだので、あながちまったく縁のない世界でもない(・・・と思う)。

「仏  合一とはきっと、無敵なのだ」
「僧  この世は美しい、人の命は甘美なものだ」
「法  愛欲だけは捨てられない」

表題だけでもこの充実ぶり。どうです、読みたくなるでしょう!
まず写真やイラスト入りで妖しい合体仏(←?)や、古物語の中の艶っぽい(時にはぎょっとするような)エピソードの数々を教えていただけるのがうれしい。もちろん歴史的背景や時代考証などの参照事項もぬかりない。身構えることなく、誰にでも親しめる語り口で仏教の一側面を見せてくれるのは本書の大きな魅力だと思う。
頻出する仏教用語と難読漢字が、愛欲エピソードに満ち満ちた本作の空気にきりりとした知性をのぞかせ、時々不意打ちのように顔を出すユーモア。・・・好みです。
そして、さすがに「官能」の見せどころが技ありで、ことに著者の一人である愛川純子さんの「ございます」口調は大真面目な話なのにエロさ三割増し、あまりのことにちょっと笑ってしまったが、この雰囲気はそうそう出せるものではない。
そして、とん。さんの筆による「慧春尼」も実に印象深いものだった。まあ、どこまで史実かは微妙だけれど、こんなふうに名が残るということはそれだけ抗いがたい魅力を持った女性だったのだろう。
興味を持たれた方、ぜひ一読ください。
あと、本書を読むと無性にお寺に行きたくなります。京都、奈良。・・・どっちもすぐそこじゃん!



(2011年5月3日記)