特に思い入れがあるわけでもないのに、「西遊記」と名のつく本を3冊持っている。
・・・実のところ話の筋はよく知らないのだが、3人の従者が動物、しかもそれぞれの個性が際立っていてマンガ的ユーモアに満ちたこの冒険活劇は、華やかなりし中国古典文学の中においても異色の存在なのではなかろうか。
「西遊記」のモチーフにインスパイアされた映画やドラマ、小説や漫画などは枚挙にいとまがない(・・・と思う。あんまり知らんけど)。みんな孫悟空が大好きなのだ。
『西遊記』は中国やインドの様々な古い民話や伝承が取り込まれ織り交ぜられ、取捨選択されアレンジされ、徐々に洗練した一つの物語として整えられた。「サルはサルでも、猿にあらず、猴なのである。」という最初の一歩から始まり、生物学的かつ文化人類的な考察がそれこそ縦横無尽、といった調子で繰りひろげられる。
孫悟空というキャラクターの造型は「女を拐うサル」「あばれて鎖で岩に閉じこめられるサル」「求法のサル」「インドのラーマーヤナ伝説」この4つのモチーフに大きく分けることができ、それぞれの項目にそってびっしりと元ネタとなった文献のタイトルと流れが記された一覧表などは圧巻で、古代中国文化と風土のスケールの大きさに改めて感じ入ったことだった。
食べると4万年生きるといわれている「人参果」という赤ちゃんの姿をした果物を悟空たちが盗み食いして三蔵法師に叱られる、というエピソードが私は好きなのだが(だって木に赤子が鈴なり・・・)、「桃と人参果」(←どちらも仙果であり美味)と題する一章では虚実入り混じった奇抜な植物がいろいろ登場して本書の中でも盛り上がるところだ。
「その石の上にはたくさんの木が生えている。幹は赤く葉は青い。どの枝にも赤ン坊がなっている。六七寸の長だが、人を見るとみな笑って、その手足を動かす。」(←元ネタとなったらしい『述異記』より)なんていう恐カワイイ話や、「人型をした植物」ということでヨーロッパのマンドラゴラ、ペルシャの「おしゃべりの木」(人間だけでなく馬・羊・狼・豹・犬など動物の首がなっている!)などが紹介され、古代人の珍妙な想像力にうなってしまう。・・・よくこんなケッタイな物を思いついたもんだな。
漫画部門ではこれ。
キュートな絵柄とやや古風で突飛なセリフまわしが今となっては新鮮だ。
暴れん坊の悟空も妖怪も愛嬌たっぷり。
教科書で『山月記』だけ読んだけどあの硬い文体に四苦八苦・・・という記憶しかない方にぜひすすめたい。この二つの小説は、哲学的な示唆を大いに含みつつも物語として楽しく読める、という優れもの。
まず『悟浄出世』は、人生に救いを求めて放浪の末、ある境地に達するまでを描いたものだ。なんといっても妖怪たちとの面妖極まる問答がポイントであるが、悟りをひらくはずが、「こ、こんなはずでは・・でも、ま、いっか」的クライマックスのモノローグも実に印象的。・・・沙悟浄、私もそんな心境に覚えがあるよ・・・と心の中でしきりに頷いてしまうのであった。
同志と師匠をスケッチした『悟浄歎異』は、その的確かつ辛辣な筆もさることながら、仏教の教えが持つ人肌くらいのささやかなやさしさに「心の奥に何かポッと点火されたようなほの温かさ」を感じる一品だ。
物語を形作るモチーフとしてdynamismを持つキリスト教には少なからず興味を持ち続けているけれど、心情的にはこういう空気がやっぱりしっくりくるし、腹にすとんとおさまるなあ。
ご紹介しましょう。沙悟浄、夜空の下で眠りにつく時、流れ星を見て独言。
師父は何時も永遠を見ていられる。
それから、その永遠を対比された地上のなべてのものの運命をもはっきり見ておられる。何時かは来る滅亡の前に、それでも可憐に花開こうとする叡智や愛情(註:なさけ、と読ませています)、そうした数々の善きものの上に、師父は絶えず凝乎と愍れみの眼差を注いでおられるのではなかろうか。
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人さまの本棚が気になる。できるものならこっそり覗いてみたい。
本好きならば誰しも考えそうなことだ。でないと大型書店で頻繁に催される「著名人の本棚」とか雑誌上の「誰それ先生の書斎」なんて企画、成り立たないものね。
しかし、著名人のいわば「ご自慢の本棚」よりも、そこいらの市井の読書家の本棚のほうが案外おもろいことになっているんじゃなかろうかと思うのは、某身辺雑記ブログの片隅に書かれた一文を目にして以来だ。もともと読書家と思しき彼女、イギリスの古い小説やミステリなどを好んで読んでおられるようだったが、ある日のこと・・・「ブックオフで『課長バカ一代』を発見、猛烈に欲しかったが、このところマンガ買いすぎなので自粛、代わりに図書館で現代語訳付き『方丈記』を借りて読んでみた。超面白い!」
ジェイン・オースティンと『課長バカ一代』(←どんなんか知らんけど)と『方丈記』が同列、このスバラシイ飛躍ぶり!読書人はこうでないといけません。
かように人々はあらゆる世界を見たいと欲し、実に様々な本を手に取るわけである。それはどんどん本棚に収納される。そして、「とりあえず空いているスキマに突っ込んでいっただけ」という怠慢が生み出す、たとえばこんな不協和音。
・・・絶望的なまでに女子力が不足している・・・
が、もうこればっかりはどうしようもねえな(諦念)。
(2011年2月18日記)