an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

哄笑する横尾忠則

南伸坊李白の月』を読む。

李白の月

李白の月

Amazon
昔の中国の不思議な小話を、漫画(絵柄が最高!)にアレンジして解説エッセイを添えたとても楽しい読物で、前作『仙人の壺』と並んで私の愛読書である。
妖怪変化が登場する怪談ふうのものも多くあるのだが、すべてが淡々、飄々と語られていて説明もなく唐突に終るので、「なんじゃそれ?」的な置いてけぼり感があり、そこに得難い妙味が出てクセになる味わいだ。
中に「家の怪」と題された、犬が頭巾を冠って踊り、皿小鉢がチャラチャラ鳴りだし、猫が拱手してしゃべる、といった実に楽しいお話があって(一応不気味な話、ということになってるみたいだけど)、原作は、森銑三の『物いふ小箱』という本におさめられたものであるとか。
森銑三は近世学藝史・人物研究の碩学で、また名文家として読書通の間では有名である。愛読している内田樹センセイのブログに登場した頃からその名を記憶しているものの、どうにもこうにも近づき難い御方だったのだが、こんなカワイイ話も書いておられたとは。それを早く言ってよ。
・・・というわけで読んでいます『物いふ小箱』(タイトルも素敵)。著者が「小泉八雲に聴かせたい」という中国や日本の古い怪談を集めて訳したものだそうで、やはり「なんじゃそれ?」的ユーモラスで不思議な小話ばかり、とても楽しい。
中には、物語の末尾に「人間よりも化物の方が一枚役者が上だったらしい。」だの「わけの分からぬ話である。」だのといった銑三翁のつぶやきが加味されていて、このオフビートな感じがまた絶妙。・・・しばらく楽しませてもらえそうである。


▼▲▼▲▼


さて、横尾忠則である。
特に興味はなくても、名前くらいはたいていの人がご存知だろうと思う。
最近ではツイッター上での、意外にも奇を衒ったところがない含蓄のあるつぶやきに共感を覚えたことがきっかけでファンに、という方もおられるかもしれない。
学生時代、美術の勉強をしていた妹からよくその名を聞いたものだが、私にとっては「わけのわからないゴチャゴチャした変な絵を描くおじさん」くらいの認識でしかなかった。今でも、「横尾忠則」と聞いてすぐ思い浮かぶ言葉は次のようなものだ。
極彩色。旭日旗。日の丸。任侠。アングラ。キッチュ。スピリチュアル。・・・そして滝。Y字路。 ・・・そう、はっきりいって何ひとつ私の好むところではない。 なのに行ってきました、「横尾忠則 全ポスター展」。
「これまで手がけた全ポスター800余枚すべてを展示」とはただ事ではない。おそらくめったにない機会であろう。実際よく知らないわけだし、これを機におおいにウンザリしてみるのも一興、と考えたのである。

なにしろ「全ポスター」であるので、ごくごく若い時期に描かれたと思しき「西脇市長選挙」だの「チヌ釣り会員募集」だのといった実用的で地味なもの、それに名作洋画やオペラといった、オーソドックスな宣伝用ポスターもあり、これらが意外と楽しめる。
シンプルなラインとデザインの中にも構図と配色に独特の工夫があって「おっ」と目をひくものが多いのだ。田中一光ばりの洗練ぶりである。考えてみればアタリマエだが、「只者でない感」をすでにガンガン放っている。
・・・だが、真骨頂はやはりこれらの作品群だろう。


      
・・・高倉健さんです。派手。


      
土方巽。これは、オリジナルよりかっこいい!


      
左上の写真は澁澤龍彦(セクシー・・・)。


      
曲亭馬琴椿説弓張月


・・・次々と見ているうちに、なんだか軽い眩暈を覚えるような心持になる。
なんというイメージの氾濫、混沌。
1人の痩せぎすな(←昔はね・・)人間からこれだけ雑多で豊饒なビジュアルの断片がすごい勢いで攪拌され、ひとつのまとまった作品として生み出されるのは驚くべきことだ。
そんな作品が何百枚と展示されているのだから、見る者に若干の疲労感を与えはするものの、なにやら気が抜けるような、半笑いになってしまうようなfunnyなムードを醸しているものも実に多いのだ。ポスター内の人物に「ワーハッハッハ・・・」と笑い声を渦巻状に印字してあるものがあり、これには吹き出してしまった。
いや、芸術的価値は正直なところよくわかんないけど、「全くもっておもしろいものを作る人だねえ・・」というしみじみした実感と、嫌なことをつかの間忘れさせてくれるような、ある種のエネルギーを感じたことであった・・・とはいっても、それは「毒を以って毒を制す」的な作用であり、間違っても「癒し」ではないのでご注意あれ。


このポスター展の次は「マン・レイ展」だよ!国立国際美術館、なかなかやるねえ。


(2010年9月3日記)