an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

明治の豪快さん

嵯峨嵐山といえば京都の一大観光地であり、公私にわたってアン・ポンタ出没多発地域でもある。
最寄りのJR・嵐電各駅周りはそれ京土産だ、抹茶ソフトだ、オルゴール館だ、足湯だ、人力車だ、とベッタベタな観光客仕様で正直閉口するのだが、この頃はちょっと目先を変えて、銭湯を再利用したユニークでおしゃれなフェがオープンしたり、突如このような英国風の古本屋が出現したりして油断ならないのだ。


      


思いっきり京都なのになぜLondon。
・・・まあそれはともかく、数は少ないながらアート系の本もあって好ましいセレクト、照明もBGMもアンティークなムードをうまく演出し、店長は痩身でやや翳りを帯びた文学青年風メガネ男子。・・・なかなかええやないですか。
そういえば最近は、“多目的カフェ”なるものもでき、そのおしゃれ空間内で小規模な古本市が開かれたりしているようで、古本屋のイメージも時代とともに変わっていきそうな気配である。しかし、イメージは変わっても商売としてはけっこう大変だろう。果たして嵯峨野めぐりの人たちがわざわざ重い本を買って帰るだろうか・・・健闘を祈りたい。で、そこで早速¥200(お買い得!)で購入した本が、こちら。


山本夏彦『無想庵物語』

私は無想庵をまず希代の物識りとして知った。学の東西古今に及ぶこと、この人のごときをそのご見ない。
露伴先生と徹宵語って尽きないといえば察しがつくだろう。

私は明治の豪快さんの話が好きである。万事においてケタ違いだからである。
武林無想庵。小説家・翻訳家にして、多くの友と交わり長くフランスに遊んだ。
記すは無想庵の友人であった山本露葉の子息、夏彦。そう、あの山本夏彦翁である。これが読まずにいられるか。
山本夏彦は少年時代に無想庵にパリに連れられ、わずかな期間ながら起居を共にした。
ごく淡々と出来事を追ってゆく断定口調の中に、時折皮肉っぽく所見をのぞかせる夏彦節全開の回想録であり、同じエピソードが繰り返し登場するし、時に直接関係ない風俗のディテールにこだわったりするし、次々に現れる登場人物の背景を挿入したりするので時系列も頻繁に前後する。よって資料として役立てるようなきっちり整った伝記ではなく、瀬戸内寂聴ばりにドラマチックに仕上げた評伝でもなく、そっけない口調もあいまって、やや読みにくいという印象を持つ方もおられるかもしれない。
しかし描かれている人間がみな強烈な個性の持ち主ばかりなので、これくらい抑えた筆致でなければ、私などは食傷してしまうだろう。ことにすごかったのは、その博覧強記ぶりや交遊をめぐるエピソードではなく、なんといってもその豪快な女遊びなのであった。吉原へは連夜通いつめる、実妹の友人やひょんなことで知りあった人妻には手を出す、はては異母妹を孕ませたりと、もう手当たり次第、無茶苦茶である。
女好きもここまでくるとなんだか凄みが出てくるな・・と思いつつ、実の妹に尋常ならざる想いを何十年も抱いていたり、娘イヴォンヌに異常に執着してみせたり、結局身内しか愛せない、つまりは自分自身しか愛せないような人だったのかもしれない。
・・・ここでなんとなく女性が読んで不快になりそう、と思われた方、ご心配なく。女も負けていません。無想庵の2番目の妻というのが、写真を見るかぎり仔

まずめったに自分の気持ちを感傷的に表さない山本夏彦であるが、このラストフレーズには、もうすでにいなくなってしまった大切な人への深い哀惜と、怒涛の日々を思い返し描くことでの若干の疲労を滲ませていて感慨深い。

谷崎(潤一郎)佐藤(春夫)をはじめ夥しい友にめぐまれ、再三再四彼の危急を救った。
辻潤は何度目かの洋行のとき東京から京大阪まで追って別れを惜しんだ。
かくのごとき友情は近ごろ絶えて見ない。
昔はあったというが、誰にでもあったわけではない。
それだけの魅力があったのである。
私は武林に失敗した芸術家を見て、芸術家にして失敗しないものがあろうかと惻隠の情にたえないのである。(中略)いま死後二十余年を経て、私をしてこの長い追悼の辞を書かせたのは、ほかでもないこの人の力である。

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夏休みを前に、暑さと湿気で重くなりがちな通勤のお供にいかがでしょう。読めば足取りがほんの少し軽くなるかも、そんな本を選んでみました。


宮田珠己『ウはウミウシのウ』

私は初めて読んだのだが、著者はすでに“タマキング”なる愛称で人気者であるとか。オモシロ系の旅エッセイが主で、椎名誠の単独版、みたいな感じかな(椎名さんは団体派だが、この人はだいたい1人か奥様と2人)。

「わたしは海へ行って変なタカチの生き物を見るのが好きだ。」という小学生の作文みたいな冒頭から始まり、なぜ本格派ダイビングではなくお手軽派シュノーケルにこだわるのか、海の生物の中でもなぜ「変なカタチ」を愛でるのか等々を軽妙なテンポで綴っていく。
人柄がにじみ出るようなユーモラスな語り口とイラスト(上手い!)にはわくわくするし、気持ちよく笑わせてくれる好著だ。
私もかつて宮古島は新城・吉野海岸にて竜宮城のごとき色鮮やかなサンゴや熱帯魚にうっとりした者であるから、「ここでもサンゴが死んでいる」「ここは全滅」などと報告されるのは胸がいたむ。本書の売り上げの一部は海の生物を守るために寄付されるそうで、それはもう、喜んで使っていただきたいと思うのである。


◆『たいした問題じゃないが −イギリスコラム傑作選』

こちらは名著で有名みたいですね。
イギリスの著名なコラムニスト4人が、生活の中のごく身近なネタを使って笑わせるコラムを集めたもの。ちょっと意地悪な視線がチャームポイントになっている。
きっと原文はすごくしゃれた言い回しで書かれているんだろうなあ、と思うのだけど、翻訳もすごくいい。ほら、普段は余計なこと一つも言わないインテリが澄ました顔してコソッとおもしろいこと言うみたいな、とぼけたイギリス流ユーモアが最良の形で現れているのではないだろうか。たぶん明治時代なんかだと、日本でもこういうものがたくさん書かれていたんじゃないかと思うんだけどなあ・・・(よく知らないけど斎藤緑雨とか・・)


(2010年7月12日記)