an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

これが私の生きる道 その①

京都駅に隣接している伊勢丹百貨店には私が所属している法人の総務部があって、自転車でちょくちょく出かけるところの一つである。
お金を預かったりハンコをもらったり書類を届けたりすることが主な用事であるから、ピューッと行ってピューっと駅に戻ってくる。
・・・そのわずかな間に、停めている自転車のカゴの中に、かなり高い確率で、ペットボトルや空き缶が入っているのである。・・・つまりゴミ箱がわりにされているわけ。
当然ながらムカッとして心の中で毒づきながらしかるべき所に捨てていたのだけれど、あまりにも頻繁に入っているので、「ゴミを入れて平然と去っていく人」がこんなにたくさんいるということに、ちょっとした感心に近いような(←おいおい)、妙な心持になってきている。
すっとさりげなく放りこめるようなところに自転車は置いていない。
通路を外れて「わざわざ」入れに来ているのである。
人目もありましょう。タイミングが悪ければ、「あの〜、私の自転車、ゴミ箱じゃないんですけど・・・」という低い声とともに背後から現れる中年女との遭遇、などという恐怖もよぎるでありましょう。ある意味、豪胆といえなくもない。
この月曜日にも早速コーヒー缶が入っていて、その豪胆な奴の顔を一回見てみたいもんだな、という好奇心が疼いた(柱の陰で見張るか?笑)のと同時に、「捨てに行くの超めんどくさいし、その辺に置いとこ。誰も見てないし」ってなことを日常的にやっていると、そのうちその辺に親を棄てたり、放射性廃棄物を棄てたりするような人間になるぜ、フフフフ・・・と苦い笑いが漏れてしまった、そんな秋の好日。

・・・与太話(でも誰かに聞いてほしい・・・)にて失礼しました。気分をかえて本編へ。


▼▲▼▲▼


「・・・しかし、もう一度人生をやり直せるとしたら、私は躊躇なく同じ道に飛び込むだろう。」とはレオン・トロツキーの一見気障な言葉だが、微かな諦念と自嘲をおびた、けっこう切実な本音なんじゃないかな。
不運な身の上を嘆いたこともあるけれど、バカなことばかりやって後悔も多いけれど、絶えず前途は多難であるけれど、何度やり直しても同じことをしてしまうはず。
これが私、これが私の生きる道


◆『筑摩書房の三十年』和田芳恵

この本の存在は以前から知っていた。
山本夏彦の名著『私の岩波物語』に、“社員ですら読まない社史の中で唯一、ひろく人に読まれた本”として一度ならずその名が登場するのである。
著者の和田芳恵樋口一葉の研究者として有名で、「その文には人を魅する力がある。」とのこと。
「和田は異色の小説家で、どういう書き方をしたのか見た人ほめないものがない。たぶん右の欠点(註:社史にあるのは手前味噌であり、美辞麗句であり、自慢話のかたまりである)から免れているのだろう。」

私はもともと編集者と文士が絡む出版よもやま話に目がない上、ここで夏彦翁が「たぶん」といっているように、社史なので長らく非売品だったのである。それが堂々店頭に並んでいるのを見かけ、嬉々として手に取った。・・・とはいえ、装丁もタイトルもずいぶん地味で愛想がないな。これじゃお硬い新書みたい・・・などと思いながら読み始めたのだが、いやはやこれがおもしろいこと。
個性的な男たちがあちらでキラリ、こちらでキラリと輝きながら疾走してゆく青春記のような趣がある。創業から三十年にわたる歴史的トピック、中でも戦中戦後の苦難の時代を綴った記述が多いのだが、筑摩の面々も著者の筆も軽やかだ。
「この頃になるとほとんど、実質的には、仕事ができなくなってきた。紙がない。職工がいない。それでも中村光夫が言った。「編集会議だけは毎週やろうじゃないか。企画を蓄積しておけば、いつか役に立つ時が来るよ。Without paper plan だ。」といった調子。
なるほど、こいつはただの社史じゃない・・・

この時代に(「昭和十五年というのはいかなる時期であるか。皇紀二千六百年と称し満洲国皇帝を招いて国を祝った年である。・・・けれども言論の取り締まりは次第にきびしく、雑誌の創刊は許されなくなった時代である」『私の岩波物語』より)この「最悪の年」に出版社を立ち上げようなんて人は、なにがしかの主張と気骨を持った人間か、時勢をよめない少々迂闊な変わり者だろう(笑)。
古田晁その人はどちらかというと後者であり、お金持ちのぼんぼんで出版はずぶの素人、大学出のインテリとはいえ特に文学に明るいというほどでもなく、「自分で自分を粗末にあつかうようなところがあり、また、含羞の人」とは著者の評である。

「ともかくも、いい本を出したい」というひたむきな思いとは裏腹に、商売人としての才覚にはいささか欠けていて、採算を度外視した大金を使って経営は絶えず綱渡り、連日連夜の無茶な深酒・・・「(現在では立派な出版社である)筑摩書房の創業者」にしては、なにやらつかみどころなく、頼りない姿が浮かび上がる。
しかし、どこか人の心を開かせひきつける不思議な魅力を持った人だったようで、あの気難しい田辺元和辻哲郎柳田國男さえも彼に籠絡されてゆくのだ。
また、どういうわけだかこういう変り種にはたいてい実務能力に優れた同僚や部下が集まるもので、このあたりの濃いキャラクターの人物たちが入れ替わり立ち替わり活躍するエピソードひとつひとつが、短編小説にでもなりそうな珠玉の出来栄えである。

空襲下でも部屋にただ1人、黙々と校正の朱筆を持つ和服の山田老人(←筑摩書房のいわばパートさんですな)の、「最後の一線で文化を死守している」姿に深く心打たれる上林暁(←金の無心に来ていた)、という一場面や、渋川 驍『柴笛』の原稿を松本の印刷所に入れるため、列車の中でその原稿を読んでいる最中、
「最初のトンネルに差しかかったとき、原稿の上に、さっと血潮が飛び散った。(中略)あっという一瞬の出来事であった。古田晁の席の肘掛けに腰を寄せていた男が、頭に機銃掃射を受けたのであった。」
この「血まみれになった原稿」は写真も載っており(白黒ですが)、こんなふうに、命をかけて本を出そうとした人がいたんだ・・・という実感がじわりと押しよせ、思わず襟を正したくなったことだった。


◆『雪の下の炎』パルデン・ギャツォ

こちらは映画にもなったようなので、ご存知の方もおられるかもしれない。

バルデン・ギャツォの生涯は稀にみる苦難と忍耐の物語です。僧侶だった彼は、中国がチベットを支配しはじめて間もなく、二十八歳のときに捕らえられ、六十になろうという一九九二年、ようやく釈放されました。

ダライ・ラマによる序文の冒頭と、収容所から持ち出した数々の拷問器具の写真だけで絶句してしまう、チベット僧バルデン・ギャツォの回想録である。
著者の綴る文章の内容は驚愕であるが、ご本人の資質であろう、終始落ちついて取り乱すこともなく、家族や同僚やふるさとに向けるまなざしが限りなく優しい。
やりきれないのは、師匠や同僚を裏切ったり、嘘をついたりしなかったせいで、刑期が10年、また10年と延ばされてきたことだ。
この本を評して、私などが「不屈の精神や献身の心」などと言ってもその響きは空回りしてしまう。あまりにも想像を超えたものを、言葉にするのは難しい。
ただ、「人はここまでできるのか」(いい意味にも悪い意味にも)ということを目の当たりにして、私の中で何かが少し変わったような気がするのだ。・・・こういう暴力に対して「お前に何ができるのか」と問われると、何ひとつ返す言葉がないのだけれど。



▼▲▼▲▼



ジブリピクサーも新作をこのところ見逃しており、久しぶりのアニメーション映画を観たらこれがとってもよかったよ。
ヒックとドラゴン』よりお気に入りのシーンをペタリ。


     


とりたてて目新しい物語でもないのに、この愛らしいドラゴンとの心の交流がこんなに感動的なのは何故だろう。吹き出す炎、弾ける水しぶき、風になびく髪、そしてドラゴンの飛翔・・・映像も音楽もすばらしい。
ああしんどいな、という気分のときにぜひご覧いただきたい快作である。
きっと、ドラゴンが起こす一陣の風を感じとれるはずだから。


     


・・・凡作『スーパー8』もこの路線でいったらよかったのにね。



(2011年9月8日記)