an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

老いと時間

ちょっとボンヤリしていたらもう12月も半ば。
この時期、誰しも思われることだろうが、月日が、時間が経つのが本当に早い。
徐々に速度を上げて狂ったように回転を繰り返す時計針、チカチカと点滅した録画の早送りのごとき生活、時間の流れは限界を振りきり、ついにすべてが消滅!・・・・・・という筒井康隆のドタバタ・ナンセンス小説『急流』を彷彿とさせるほどである。
そこへ横尾忠則の含蓄あるこのツイートだ。

老齢になると時間の過ぎるのが早くなるという。
それはあせりが時間を食いつぶすからだろう。残り短い時間をゆっくり、じっくり生きてやろう、という気持があれば意外と多くのことができるかも知れない。

・・・ははは。これからますます時間が早く過ぎるわけね。

老齢といえば、近ごろ書店では超高齢の方々(90歳とか100歳とか・・・)の書いた詩集やエッセイ、あるいは「老年期の過ごし方指南」とでもいうような本がよく売れている様子である。才覚、美学、収穫、流儀、始末・・・・・・タイトルにおどるこれらのご立派感あふるる言葉を前についつい早足で通り過ぎてしまうのだが、先日亡くなった立川談志が「オレなんて“年寄り”の初心者だからさあ、どうしたらいいのかわかんねえんだよ。(←衰えてゆく記憶力や、病、死への恐怖にどう向き合ったらいいのか・・・という意味と理解しました)」と自嘲まじりに言っていたことをふと思い出した。
特別な才能に恵まれ、やりたいことをやって、多くの人に慕われている談志のような人でさえこうなのだ(しかし・・・ホント正直な人だよなー)。
寿命とともに老年期は長くなったが、時間は瞬く間に過ぎる。ああこのambivalent!
「長くて短い」現代の老年期をどう生きるか、困惑と焦燥を抱いている人は想像以上に多いかもしれない。私とてあっという間に他人事でなくなります。

・・・が、私は今のところ、品格云々と高い理想を掲げるスーパー高齢者を目指すよりも老いを静かに受け止めて、ときには苦悶しつつも少しずつ自分なりの折り合いを見つけていく・・・例えばこんな小説がしっくりくるな。

老妻の痴呆症状と自身の病に悪戦苦闘するさまを淡々と哀切に、身につまされるようなエピソード(←私もやりそう!というような)と微かなユーモアとをもって描ききった耕治人『そうかもしれない』

嫁と姑の方言ダイアローグ、という意表をつく手法でぐいぐい物語を引っぱってゆく村田喜代子『蕨野行』
この人を身辺雑記風の小説書いてる地味なおばさん作家、などとゆめゆめ思うなかれ(ってゆーか私がそう思ってたんだけど)、涙も枯れるような悲惨の中に差し込む一筋の再生の光、このラストシーンに至って私の中では“姥捨小説”の極北、『楢山節考』を超えた。

(2011年12月16日記)