an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

フランスものとか

最近読んだものから、おフランスの二冊をピックアップ。


◆『小さな家』ル・コルビュジエ

小さな家―1923

小さな家―1923

ル・コルビュジエが、レマン湖畔に両親のために建てた「小さな家」のデッサン・写真に解説を添えた、小粋な小冊子である。
この愛すべき家には、さまざまな工夫が凝らされている。
写真とともに「この部分はこうする。なぜならば・・・」という合理的理由の記述(時にはエモーショナルに!)から浮かびあがる建築家の心意気を、肩肘張らずにお楽しみください。


◆『アンドレシモーヌ ヴェイユ家の物語』シルヴィ・ヴェイユ

数学者であるアンドレヴェイユの娘、つまり哲学者のシモーヌヴェイユの姪にあたるシルヴィ・ヴェイユによる家族の物語である。

父の本棚で『甦るヴェイユ』という本を見かけ「ヴェイユって誰?」と思ったのはいつのことだったか。その後読んだ髙村薫の小説の中では、彼女の書き残したものを「言葉の一つ一つ、ページの一行一行から溢れ出る一人の人間の、とてつもない息吹、信念、情熱、優しさ、脆さ、危うさ、美しさに打たれ、人間が物を考えることの偉大さに触れ、生きていてよかったと思わせる悦びに満ちているのだった。」と表現しており、このフレーズが忘れられなくなった。
一体どんな人でどんなことを書いたのだろう、シモーヌヴェイユは。
病身なのに労働者とともに過酷な生活をし、若くして亡くなった人。常に弱者によりそうマザー・テレサのような聖女をイメージした。その後、極左的活動家としての一面や、絶えず自分をきりきりと窮地に追い込む、たいそう気性の激しい人だということを知って、さらに興味深く思った。
そこで、『重力と恩寵』をかいつまんで読んでみたのだが、これは体系的に練られた著作ではなく、いわば気ままに書きつけた思想の断片で、それだけに真意をつかむのが困難であり、彼女独特の抽象的かつ哲学的語句や、キリスト教の教義をスムーズに理解する能力に欠けている私は、「・・・なんや変わったこと言うてはる・・・」という、お話にもならない読後感に終わってしまった(苦笑)。

人にはそれぞれ「本に呼ばれる、読むべき時期」があるという。
その機会をじっくり待ちたいところである。

さて、本書だ。
高名な父と叔母を持ち、しかもその叔母に容貌が酷似しているというシルヴィ(写真ではシモーヌよりずっと快活で華やかな印象ですが)。
「死者は永遠に去って、生者に語りかけには絶対戻って来ない、と思うのは、明らかに間違っている。死者は生者に語りかけに戻ってくる。」という言葉からも、冒頭から強調される父・アンドレの鼻持ちならない皮肉屋で尊大な様子からも、家族のわずらわしい確執にとらわれ続けてきたことは容易に想像できる。
私は、著者の記憶にあるシモーヌの面影に興味があったのだが、シルヴィが生まれた約1年後には亡くなっているわけだから、残念ながらそれはかなわなかった。
しかし、祖父母を始めヴェイユ家の祖先のドラマを丹念にたどったり、父との忘れがたいエピソードの数々を絡めながら、“シモーヌの存在”を、時に嫌悪を感じつつまさぐっていく様はやはり身内ならではの生々しさだ。
・・・こんなに皆に愛された人だったのに、何故それを断ち切るような生き方をしたのだろう。

女性ならではの細やかな洞察力が全編にわたって感じられ、冗談めいた皮肉やしゃれた比喩を効果的に使って読者を楽しませるテクニックもあり、特異な一家族の物語としてとても楽しく読むことができた。
興味のある方はぜひ。


(2011年8月17日記)