an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

ペヨトル工房とその周辺

例えば雑誌の編集者とか、古本屋の店主とか、装丁やデザインをする人とか、
有名無名にかかわらず、今まさに“本”に関わる現場の渦中にいる人が書いたものに目がない。
むろん玉石混淆なれど、まず間違いなく著者が本好きの物知りなので話題には事欠かないし、新しいものを生み出す躍動感やそれを持続するための地味で根気のいる舞台裏事情、予想せぬトラブルを乗り越えるスリルと快感、そして何かが徐々に崩壊し、その軌跡と残骸とを眺める境地・・・そこには「出版」という特殊な業界の仕組みや慣習、人脈などが複雑に絡み、時に感動的なドラマを展開することがあるのだ。

さて今回紹介したいのはこのドラマ、主役はペヨトル工房主宰者・今野裕一
『ペヨトル興亡史 ボクが出版をやめたわけ』

30代以上の人だったら雑誌「夜想」でおなじみだろう。だが愛読者、となるとそう多くはないかもしれない。なにしろ扱うのは主にシュルレアリズム・幻想・怪奇文学、記念すべき創刊号は「マンディアルグ×ボナ特集」。ボナというのはマンディアルグの奥方にしてシュルレアリスト、いささかトチ狂った感じの女だそうで(ダリにおけるガラみたいな感じっスかね?)、そんな御方、わたしゃ今回初めて知りましたよ・・・と、かように読者を選ぶ出版社といえるだろう。

そんな一癖も二癖もある本しか出さないペヨトル工房の「解散実況生中継日記」から始まり、これまでの怒涛の日々を振り返る。前述したマンディアルグ寺山修司中井英夫ら芸術家との交流やバブル全盛期の西武百貨店絡みの華やかなイベント顛末記も楽しいが、経営を持続していくための実務的な困難(つまりは出版活動を頓挫させる遠因となるモロモロ)を綴ったあたりも今野さんの人柄が出て実に興味深かった。
「(社員の)教育は本当にたいへんだった。電話の取り方からお茶の入れ方、一般常識を教育するのに時間がかかりすぎるので、いったん社会に出た人を採用することにした。」などと数々の妖しい本を作る金髪の主宰者が口にするとは意外や意外、とはいえ、もし20代そこそこの私が聞いていたならさぞ耳が痛かったことだろう。
最終的には二進も三進もいかなくなっての「解散」となるのだが、その後大量の在庫となった本の断裁を阻止すべく奮闘する数々の書店の中で、再三登場するのが京都の「三月書房」店主、宍戸さんだ。父娘2代にわたってこの本屋に足しげく通っている私には、本書に寄せられた原稿「正しい出版社のつぶれ方」を読んでいると、あたたかいけれど冷静な独特の口調を、難なく脳内で再現できるのだった。

そして本書中に山形浩生の名を見つけたのも意外だった・・・
が、全部バロウズ関連ですね。
この人の名前に反応するようになったのはいつ頃だろう。
その昔、愛読していた映画ビジュアル誌「Cut」の書評メンバーの一人で、文学作品などをとりあげるsnobbishな人が多い中、彼はいつも経済学やコンピュータやサイエンス系の本を紹介していて、その挑発的な毒舌ぶりが一際異色だった。一般読者向けに書かれたものとはいえ書評ですら私には難解で、何を力説しているのかさっぱりわからず困惑したものだ。
しかしここで経済学者のP・クルーグマン生物学者のR・ドーキンス、SF作家のJ・G・バラード、R・Aラファティなどの名をシッカリ刷り込まれたわけだから、何か自分なりに興味の“ひっかかりどころ”を感じたのだろう。そういう感覚をこれからも大事にしたい。
最近は『毛沢東』『ポル・ポト』など独裁者の伝記(←凄まじいボリューム!)の翻訳など、あいかわらず「一体いつ寝てるんだ!」的な快調な仕事ぶりを見るにつけ、とてもついていけません・・・とうなだれてしまうのであった。

そしてもう1人記しておきたいのは、ライター・村崎百郎だ。
私は以前からこの人の露悪的なスタイルが嫌いでよく知ろうともしなかったのだが、今野さんに心酔していて、ペヨトル工房でもどうやらそれなりにうまくやっていたようだ。
本書に寄稿された文章は、「鬼畜ぶってるけど実はいいヤツ」という陳腐な言葉では片付けられない真摯な思いに溢れていて、ついしんみりしてしまった。
「イソベさん(←デザイナーのミルキィ・イソベさん)のデザインは、俺がこの世の中でもっとも美しいと感じるものの一つで、新しい本の表紙の色校が出るたびに背筋が寒くなるほど感動したものだ。」
・・・こんなふうに言われたらデザイナー冥利につきるというものだろう。


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こんな私もたまには“しっとり恋愛モノ”を紹介したいと思うのだ。秋ですし。
どちらも洗練された色香を放つ見事な作品なので、多くの方に観ていただけたら。ま、「フツーの恋愛モノ」とはやや肌触りが違ったりするわけですが、それもまたよし。



◆『シングルマン』トム・フォード監督

歳若い恋人を亡くして数ヶ月、自死を決意した大学教授(コリン・ファースがすばらしい!)の1日を描いた物語。
ええ、お察しのとおりその恋人は「男」であるわけなんですが、ナニ、愛しい人であることになんら違いはない。半身をもぎ取られるような喪失感によって目に映る世界がどのように変わるのか、この上なく繊細に丹念に、また鮮やかに描いた哀しくも美しい作品に仕上がっています。・・・こういうのは後からじわじわと、いつまでも心に効きますな。
また、男性たちがとても美しく撮られていて大いなる目の保養、さすがはトム・フォード、お目が高くていらっしゃる。


◆『シルビアのいる街で』ホセ・ルイス・ゲリン監督

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  • グザヴィエ・ラフィット
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そこはかつての恋人シルビアの住む古い街。花から花へと飛び交う蝶にように、カフェの女たちへ視線を漂わせる1人の若者。そして、シルビアの面影を宿す彼女の後を追う・・・。
石の街と路面電車が織り成す光と影、風になびく髪、恋人たちの密やかな語らい・・・いやはや、まるで透明な空気が匂い立つような、粋な作品でありましたよ。



(2010年10月20日記)