an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

「他者に寛容であることのむずかしさ」

ニール・ブロムカム監督『第9地区』を観る。

ブラックユーモアに満ちた知的なSFなのかなあくらいに思ってたら、ザ・フライばりに気色の悪いエイリアンがうじゃうじゃ出てくるし、黒い液体は吐き散らすしバンバン銃弾は飛び交うし腕はちぎれるしで、なんかもう大変なことに。
新緑に爽やかな風が吹き抜けるこの季節に、おかげさまでじっとり嫌な汗をかきました。
(そういえば『パンズ・ラビリンズ』をファンタジーだと油断してたら予想外のグロさに悶絶したのを思い出したわ・・・スクリーンサイズでのPG12指定は注意だ!)
どこからか異形のものがやってきて・・・という映画は数多あれど、こういう設定(宇宙船が南アフリカ上空駐在・・・)はめずらしいし、TVドキュメンタリー風のオープニングはスリリングで目が離せず、全編とおして奇妙な高揚感が出ていたと思う。
で、愛読している某有名映画ブログでの評価を確認してみたら、こんな一文に目が留まった。

もっとも重要であるのは、この宇宙人というのが、どこか共感を拒むようないびつさのある不気味な容姿、粗暴で不潔な生物として描かれることで、彼らとの共生を考えるうえで、われわれはみずからの寛容さとあらためて対峙しなくてはならなくなる。
わたしはこの、えび星人みたいなのとなかよくやっていけるのか。

荒唐無稽なB級映画の中にすら自身の切実な問題を見出してみせる(しかもユーモア交えて)、さすが有名ブロガーは一味違うぜ。
このグロテスクな生物が「私に不快感を与える他者」のメタファーになっていることは明々白々、たとえそのような見苦しいえび星人でなくても、「他者に寛容であることのむずかしさ」は誰でもひそかに日常的に感じているのではないだろうか。道行く人は一様に不機嫌で肩が触れ合っただけでも舌打ちせんばかりな様子だし、ネットを覗けばみんな喧嘩ばっかりしているし。
じゃあ「他者に寛容であること」ってつまり具体的にどんなん?と思ったところでふっと浮かんだのが、最近出会ったこの映画とこの本。


◆『ホルテンさんの初めての冒険』ベント・ハーメル監督

めでたく定年を迎えたホルテンさん(パイプ姿がフォトジェニック!)が冬のオスロをうろうろ徘徊しては珍妙な人物と出会って話をして別れるというただそれだけの、わりと愛想のない物語。北欧製だけにカウリスマキ風味濃いめ。


◆『古道具ニコニコ堂です』長嶋康郎

骨董でもアンティークでもなく、古道具。
なんの役にも立たない、むしろタダでもいりません的なぱっとしない商品を並べて、これまたさえない感じの来店者とのやりとりが綴られる脱力系エッセイである(・・・なんか高田渡の歌に出てきそうな感じね)。
本文の傍らに所在無げに描かれたイラストと手書きの「ニコニコ通信」がチャームポイントの本書だが、さてこの両者に共通している空気は、なんというか、しばしば「そっけない」と思うほど恬淡とした他者との関わり方だ。

暫くあの、ふっくらしてて髪が白くて産毛も白くて肌も白くてピンク色しててふわふわでニコニコして少し女ことばの花池のおじいさんが来ないが、死んじゃったんだろうか。
電車で一駅くらいのところだから車で訪ねてみれば分かるのだが、あえてしない私なのだ。
               (『古道具ニコニコ堂です』より)

この感じ、わかります?
実は人を興味深く見ていて、状況によっては面倒な頼みを聞いちゃったりもするけれど、相手との間には常にやわらかな距離感があって、その先には立ち入らないし執着もしない。
ホルテンさんもいつもこんな感じ。
こういう距離の取り方って、こころの内にあそび、ゆとりみたいなものがないとできないと思うのだ。いつもキリキリ何かに執着していると気付かない、拒絶するでもなく歩み寄るでもなく、やわらかい空気みたいな何か。
他者に対する寛容さ、ってなんとなくそんなイメージじゃないでしょうか。
だがもちろん、まったくこれっぽっちも執着がない人間関係ほど味気ないものはないわけで、こればっかりはその人その人の経験から培われた度量とか賢さとかセンスとか、そういうものによっての匙かげんが必要なのだろう。
・・・なかなか難しいもんですな。


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春の陽気に誘われて、奈良公園中之島まつりといった多くの人がひしめいている所へわざわざ出かけ、またしても飛んで火に入る虫なGWを過ごしてしまった私ですが、その連休のど真ん中に、虫も寄り付かないようなトークイベントに行ってきたのでした。


         こちら、誰だかおわかりでしょうか。

      

         ・・・何気に時計がオシャレです、御大。

      


(2010年5月7日記)