an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

関西弁パワー

それぞれに違いはあれど、わりとはっきりした、何らかのイメージを持たれているのじゃないかと思うのだ、「関西弁」というのは。関西弁が醸す空気、関西弁を使うあの人・・・はい、いろいろ具体的に浮かんだことと思います。
・・・関西人同士の会話はみなナニワの商人(あきんど、と読んでね)の商談、もしくは下手な漫才に聞こえる。あるいは京都ブームな昨今、「どこ行かはるのん?」「何してはるのん?」というような、はんなりまったりな京都弁に萌える、という方もありましょうし、大阪弁は泥臭くて生理的にどうも駄目だなあ僕は、などという御仁もいらっしゃるかもしれない。

使用当事者たる私はといえば、自然に口をついて出るものを嫌ったところでしんどいだけだし、かといって郷土愛的思い入れもまるでなく、いたってニュートラルな立居地にいる。しかしそんな私が「このシチュエーションにおいては、何といっても関西弁が光る」と思っているものが2つあって、1つめは、トホホ的局面における関西弁だ。「さっぱり、わやですわ」「どないもこないも、あきまへん」「もうほんまによう言わんわ」ってな調子で延々ぼやかれた日には、なんかもう本当に、正真正銘だめだめな感じ。そしてそこにじわっとにじみ出るペーソス、この妙味は関西弁ならでは、ではないだろうか。
そしてもうひとつは「恫喝」である。関西弁の恫喝、めちゃくちゃ恐いよ。
たとえ池乃めだかのようなおいちゃんであっても、「なにぬかしとんじゃ、なめとったら殺すぞこらあ!」などというセリフを巻き舌も鮮やかにきめられようもんなら、自分が全然悪くなくても脱兎のごとく逃げるしかない。

・・・そこで、町田康の『告白』だ。トホホと恫喝の奇跡的融合、ともいえる渾身の大作を読了した。実は関西弁といってもいろいろあって、この作品で使用されているのは「河内弁」というそれはそれはガラの悪い言葉で、ここは著者の独壇場、口臭がしてきそうなほどリアルで活き活きした会話が繰り広げられる。

河内音頭に歌われる明治の「河内十人斬り事件」に物語の枠組みは借りているけれど、現代人にも通ずる生きる苦悩を描いた、緊張と脱力の間合いがなんとも奇妙な異色作だ。
無頼漢2人が大殺戮を決行する。この、いわゆる「キレている」「狂気の沙汰」状態を、抽象的・観念的な言葉を排し視覚、嗅覚に愬えて描く。「何百ものガラス小瓶に入った酢醤油が中空に浮かび森を走り、一瞬後には割れてきらきら輝く。あたりに酸っぱい匂いがたちこめる」「何百という臼が闇の中を疾走する。臼は胴から真っ二つに分かれ、粉々になった。轟音が鳴り響き硝煙の臭いがした」そして、獅子の咆哮・・・ここで描かれる奇矯な心象風景と不吉なイメージの断片は、町田康独特の擬音語(←このあたり、やはり音楽家ですね)の効果もあって、闇夜に閃光が走るような鮮烈なイメージを残す。

・・・考えてみれば俺はこれまでの人生のいろんな局面でこここそが取り返しのつかない、引き返し不能地点だ、と思っていた。ところがそんなことは全然なく、いまから考えるとあれらの地点は楽勝で引き返すことのできる地点だった。ということがいま俺をこの状況に追い込んだ。俺はいま正義を行っているがこの正義を真の正義とするためには、俺はここをこそ引き返し不能地点にしなければならない

ラスト近くで呟かれるこのセリフが、切ない。


そしてもうひとつ、関西弁小説といえば谷崎潤一郎細雪』だ。
言うまでもなく『告白』とはまったく違う典雅な小説なわけだが、これがまた、大変におもしろいのである。

え〜・・・どこがどうおもしろいかを書き始めると長くなりますので、これはまた次回。



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「兵籍簿」というのをご存知だろうか。
兵役に行った人の本籍・生年月日・家族構成等々と軍歴が記された、言うなれば「兵隊さんの履歴書」を綴じたもので、各自治体でそれぞれ保存・管理されている。それらをデータベース化する仕事を請け負うことになり(あたしゃ何屋だ?)、現在せっせと府庁に通っては山のような兵籍簿と差し向かっているのである。黒ヒモで綴じられた大量のそれらは赤茶けてボロボロに傷み、カタカナ交じりの旧字体でなにやらびっしりと書き込まれ、どことなく不穏な空気をまとった古文書、といったふう。おそるおそる、ゆっくりとページを繰る。
たくさんの人たちが戦地へ行ったけれど、その「たくさん」というのは、こうした「一人一人の個人」であるのだなあということが実感できる、なかなか得難い機会ではある。
その中に、フト発見してしまったのである。この名を。

今西錦司

・・・いいいいまにしきんじ!?あの今西錦司
ダーウィン論−土着思想からのレジスタンス』は持ってるし、吉本隆明との対談だってものすごくがんばって読んだわ。・・・全部忘れたけど。
明治35年1月6日生まれ、京都帝大農学部卒業(Wikiで調べちゃった)、やっぱりそうだ・・京都の人だし。しかし、まさかこんなところでお目にかかるとは・・・
最終階級は「陸軍少尉」、「幹部候補生」との書き込みがあったのが目を引いた。
そうかあ、この人戦争行ってたんだ・・そりゃ学者だからって行かないわけにはいかないよな、でもいつも山やらサルやら進化論やらでアタマがいっぱいでうわの空だったんじゃないかなあ・・・思わぬ人の登場に、少しばかりこころが騒いだことでした。

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京都は西陣、一条戻り橋近く。素朴な木彫りの動物を自宅玄関に週替りで展示している人がいて、町のちょっとした名物となっている。毎度おなじみ同僚のKさんのブログでその存在を知り、ユーモラスな姿(なんというか・・・手をかけすぎていない、ざっくりしたテイストがいいのよねー)をいつも楽しく眺めていたのだが、「くらふとギャラリー・集」にて初めてのミニ展示会が開かれているとのこと。仕事途中の道すがら、さっと寄ってみたのだが、ギャラリーの雰囲気もよし、ネコたちものびのび幸せそう。

                   


このギャラリーは他にもすてきな雑貨・小物がたくさんあります。
京都へお越しの際はぜひのぞいてみてください。


      


・・・こんなものが作れる人が本当にうらやましいな。

(2010年3月20日記)