an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

現世は夢 夜の夢こそ真実

12月。師走。年の瀬。・・・いつの間にやら気忙しさを肌身に感じる時期になってきた。だからといって特に忙しいというほどでもない呑気ものの私ではあるが、思い返せば煩雑でシビアで容赦ない現実に、この1年あくせく奮闘してきたわけである。時には日常の些事や憂い事を一瞬にして忘れさせてくれるような、堅牢な現実を嘲笑し凌駕するような・・・そう、たとえば途方もない空想、空前絶後の戯言、目も眩むような幻想、ファンタジー、奇想、ナンセンス・・・そういうものと対峙してみるのも悪くない。
荒俣&高山、最強の“宏コンビ”ならば一晩中でも語っていただけるであろうこのジャンルに残念ながら私は疎く、しかも無駄に歳を重ねたやさぐれ女である故、そう簡単に驚嘆感嘆の夢見心地・・というわけにはいかんのである。(『ドグラ・マグラ』だって読み通せなかったしさ。あっ、それはただの怠慢か・・・)
そんな私が、最近めずらしく立て続けにそういうものを読んだり観たりしまして、思わず「・・・やるな。」と心の中で呟いた作品をピックアップしてみました。

丸尾末広『パノラマ島綺譚』

奇才・塚本晋也を以ってしても描ききれなかった乱歩ワールドのビジュアル化、まさか漫画でその完璧な完成品をみるとは思わなかったねえ。すごいなあ、これは。
物語の後半部から豪華に展開されるパノラマ島の全景は、ボッシュの「快楽の園」やフェリーニの「サテリコン」を彷彿とさせるが、俯瞰と細部の見せ方がバランスよく見事の一言。
シンメトリーの庭園から始まって楽園のイメージは歪に膨らんでいき、ゆっくりと腐臭を放ちはじめる。熟れた果実は刻一刻と朽ちていき、人々は意外と早く満腹になり、そして退屈する。・・・もしもその快楽を永遠に留めたいと思うならば・・・このラストしかないでしょう。



       うつしよは夢 夜の夢こそまこと     江戸川乱歩



島尾敏雄『夢の中での日常』

もう今はあまり読まれていない作家だと思うけど、島尾敏雄の作品群にはいわゆる「病妻もの」、「特攻もの」のほかに「夢もの」があるのをご存知だろうか。『夢の中での日常』『鬼剥げ』『むかで』『孤島夢』といった短編だ。
“夢”特有の脈絡のない場面の切り替わりと唐突さに加えて、何かもどかしいような、いたたまれないような、この作家独特の空気に全編満ちている。(そのあたり、かの『夢十夜』とだいぶ肌触りが異なる)・・・大丈夫かいな、という感じのなんだか脆くて危うい小説ばかりなのだが、そこがぐっとくるんだな。


◆ヤン・シュヴァンクマイエル『アリス』&ブラザーズ・クエイ『ストリート・オブ・クロコダイル』チェコシュルレアリストシュヴァンクマイエルと、その弟子筋にあたるブラザーズ・クエイの代表作をようやく鑑賞。
まずは『アリス』。mixiでもたくさんのレビューがあるので、どれどれと拝見すると皆様シュール、シュール、シュールの大合唱(・・・なので途中で飽きた)だが、「不思議の国のアリス」に親しんだ人ならば、それほどシュールではないよ、これは。
ごくオーソドックスなファンタジーとして楽しめると思う。

      

机の引き出しやドアがギコギコいってなかなか開かなかったり、人形の動きがどうにもぎこちなかったり、どこかに「ひっかかり」のある奇妙な動きのシークエンス、使い古された身近な道具(釘、くつした、ボタン、はさみ・・)が意表をついた形で躍動する意外性の面白さ、そして三月ウサギと帽子屋が、単調な動きを何度も繰り返すのが印象的なお茶会シーンなんかも含めて、すべて子どもの目線、感覚をうまく再現しているような気がする。そこのところがユニークで見どころも多く、さすがの名匠ぶりを堪能。未見の方はぜひどうぞ。

『ストリート・オブ・クロコダイル』

      

これはなんというか・・うたた寝の間に見たちょっと悪い夢、という感じ。暗く歪んだ街中をくるくると右往左往する人形たち、踊るネジ、時計に張りついた肉片・・・なんとなく不吉なイメージが次々に提示されるが、これを面白く見れるのは、この22分という時間が限界かもしれないな。
「よくわからないもの」に対して、なんらかの意味や物語性を見い出そうとついつい考えてしまうのだけれど、その持続力は思った以上に短いのだった。
それにしても、この奇天烈な映像の原作であるブルーノ・シュルツ『大鰐通り』は一体どんなことになってるのか、ちょっと気になるところだ。

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「ふふふ・・・そんなものではまだまだ青いね。これを観ないで(読まないで)どうするよ!」という皆さまからのご紹介、鶴首してお待ち申し上げております。

(2009年12月7日記)