an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

スポーツの秋・・・か?

歳とともにどんどんスポーツから遠ざかっている。
観戦においても、実践においても。
だいたい私は世間一般の「体育会系」のイメージとはおよそ対極にある人間で、性向は言うに及ばず、痩せぎすで低血圧の低血糖、おまけにやや貧血ぎみで、飲まず食わずでその辺に立たせておくとわりと短時間で卒倒するタイプである。健康診断時の採血で脳貧血を起こし、膝から崩れ落ちたことが一度ならずあるし、先日もどういうわけだか電車に酔って(読んでた本が悪かったか?J・アーヴィング・・・)途中下車をしたばかりだ。哲学的示唆が皆無にもかかわらず、マロニエの樹の根っこを見て吐気をもよおす日も近いような気がするのである。
・・・そんな私が貴重な青春の多くを「体育会」の中で過ごしたことは、我ながら異なことと言わねばならぬ。

・・・ま、そんな話はどうでもいいんです。
毎度お馴染みプチ・ブックレビュー、活きのいいネタを厳選しております。よかったらご賞味ください。


◆『すゞしろ日記』山口晃

江戸の町中にセーラー服女子やスーツ姿のサラリーマンがたたずんでいたり、地下鉄の改札を烏帽子を身に付けた男や鎧の騎馬隊が足早に通り過ぎたり、時空間を混在させた発想のユニークさと、ディテールまでびっしり描き込まれた群衆や建造物は全くもって壮観で、まさに現代の「洛中洛外図」。・・・ひょんなことからそんな絵の存在を知り、その画家が日々のよしなし事をコマ割で描いているもの(ま、身辺雑記マンガですわな)を集めた本が出たということを聞きつけ、ちょっぴり高価だったけど買っちゃったのである。
その名も清楚な『すゞしろ日記』。
表紙からもそのテイストが少しは伝わるだろうか、墨と筆でさらさらと一気に描かれたであろうそれは、即興が作り出す一見雑な画からにじみ出るオフビートなユーモアと心地よい脱力感に満ちた一品で、クセになる妙味がある。度々登場する奥様との掛け合いもまた楽しく微笑ましく、綴じ込みになったカラー図柄にひとことコメントが冴える“斗米庵(←またまた登場、若冲さんのことです)双六”や本阿弥光悦マンガがまたケッサクなのだ。
同世代のクリエーターの活躍はわくわくする。今度は画集を手にとってみよう。


◆『私説東京繁盛記』小林信彦荒木経惟

生まれ育った土地にひとかたならぬ思い入れのあるこの2人が、ぶらぶら東京を散策しながら過去へ、現在へと思いを巡らせる「極私的東京史」である。
彼の最初の記憶が焼け野原だったり闇市だったりするわけで、そこからゆるやかに再生し育まれたかけがえのない町が、「東京オリンピック」というお祭り騒ぎによって次々に破壊され変貌してゆく・・・「町殺し」という言葉が出てくるたびに暗澹とした気分になるが、そこは小林信彦、「昔はよかったねえ」的な安っぽいセンチメンタルに陥ることなく、視線はクール、口調は辛辣、粋な東京っ子気質が浮かび上がる。
静かな怒りとやるせないノスタルジーの中に、うっすらとただよう諦念と達観、そこへ荒木氏のあのキョーレツな写真・・・(この2人が組む、という企画の勝利)。
風俗や土地の歴史的な経緯や青春期の回想もとても興味深いし、幼い頃から親しんでいる浅草の芸人さんや古いハリウッド映画を語る時などは著者の独壇場。東京の街に具体的な思い入れがない人であっても、この2人と一緒に東京の昔を歩くことができるでしょう。


◆『葉書でドナルド・エヴァンズに』平出隆

     行けばなにかが分かる、と思っているわけではありません。
     ただ行ってみたい、というだけです。
     ほんの少しばかりの失望が欲しいのでしょう。

手紙や郵便に独自のロマンを見い出し、膨大な量の「架空の国の切手」の絵を描き続けた画家ドナルド・エヴァンズ。その短い生涯を追ってアメリカへ、オランダへ、そしてランディ島へと旅を続けながら彼へ葉書を出す、というスタイルの本書。
これはもう、余計なコメントを控えて「とりあえず読んでみて」と言いたいところ。
詩人がひとつひとつ丁寧に選んだ言葉のみずみずしさと、風が一瞬吹き抜けるような「その人の不在」の切なさを味わっていただければ。

(2009年10月28日記)