an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

阿呆列車にわくわく

直木賞作家にもミステリにも暗い私だが、髙村薫の小説は以前から愛読している。
初期の『黄金を抱いて飛べ』とか『神の火』とかいった作品は、銀行地下から6トンの金塊を盗み出すとか、原発に侵入して原子炉の蓋を開けるとかいった、「ひとつ、デッカイことやったるわい」という俗事から外れた男の誇大妄想じみたストーリーを、女の手とも思えぬ硬質で緻密な筆致により圧倒的リアリティを作り上げてがんがん読ませるような作風で、息もつかせぬ面白さである。

・・・たぶん、よくできたミステリは、安易に「犯人はアタマのおかしいヤツでした」という設定にするべきではなく、むしろ夢オチ的禁じ手じゃないのだろうかと思うのだけど(そうでもないか・・・?)、直木賞受賞作『マークスの山』は、殺人者として器質性精神障害の少年が登場する。そして病んだ精神がどのように働き、殺人にいたったのか冷徹な眼でクリアに具体的に描き出してみせた。
中井久夫の「踏み越え」(transgression)と「踏みとどまり」(holding-on)についての深い考察を読んで感銘を受けていた私は、そう、狂った回路がある一点を「踏み越える時」はきっとこんな感じ・・・と確かな手ごたえを感じ、ミステリを楽しむのとはまた別種の興奮を覚えたことであった。

そして女史は大作『レディ・ジョーカー』後、決然と作風を変えて『晴子情歌』『新リア王』と精力的に作品を発表しているが、この二作はどうも息苦しくてやりきれないようなものに思えて(家族内の葛藤がテーマになるとやっぱり・・)未読のままだったが、今回の『太陽を曳く馬』は久々に合田刑事が登場するというし、謎めいたマーク・ロスコの装画にもひかれる。早速買ってみた。

・・・まいったね。
前二作で母との対話、父との対話と続いて、次は坊主、すなわち「宗教」との激烈なまでの対話なのだった。
現在下巻の半分くらいか、延々坊主どもがオウム真理教の是非をめぐって(是があるのか・・?)、サンスクリット語が飛び交う大論争中である。
・・・この小説はどこへ向っているのか・・・いや、小説家・髙村薫は一体何処へ・・・
思わず遠い目になってしまった梅雨空の下。


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内田百輭の「阿房列車」シリーズを漫画にしたという一條裕子という漫画家は、今回初めて知った。題して『阿房列車1号』。

「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。」という有名な書き出しで始まるのんき紀行文だ。百輭はこのところ人気があるし、漫画にするなんてなかなか度胸あるなあと思って早速購入。
・・・面白い。こりゃいい。感心した。
ほとんど原文のままの文章がリズムよく抜粋されていて、余白が多くやわらかい絵とのバランスが絶妙だ。細い線で描かれる表情がいかにもガンコで、毒舌で、ちょっと子どもっぽくて・・・という百輭先生のイメージをほぼ完璧に再現しているのでは。
時々見開きで陰影のある風景や汽車が大きく描かれるのも素敵だ。
「ヒマラヤ山系」なる、珍妙なあだ名の若い付き添いとの掛け合いはまるで古典落語の妙。いやあ、これは予想外の拾い物。
今時の漫画にしては珍しく箱入り、「持っていて、読んで幸せな一冊」と言ってしまおう。
・・・あんまり面白かったので、原作もついつい読んでしまったのだった。 もちろんこちらも大いにおすすめ。全く、なんてチャーミングな爺さんだろう。

・・・で、私も近々「東北阿房列車」を気取ることになっているのだ。旅はうれし。
友人在住の仙台までは飛行機でひとっとび、その後せっかくなので、まだ行ったことない青森まで単独で足をのばしてみることにした。
・・・ところで東北新幹線って「八戸」までだったのね・・知らんかったわ・・・ふふ。
青森市までどうやって行くのかしら。新快速とか?
20分で行ける所にナゼか2時間かかったりする私のことなので「斜陽館と十和田湖」、達成すべき目標はこの2点、と控えめにしておりますが(計画性のカケラもねーな・・・)、ひょっとしてどちらか行き着けないかもー。

(2009年7月27日記)