an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

ある日。

吉村昭『零式戦闘機』『破船』、大江健三郎の初期短編、安彦良和虹色のトロツキー』など、連日凄みのあるものばかりをガツガツ読んでいて、ハタと気が付いた。

・・・・・・いくらなんでも色気がなさすぎる(読む本に)。
そうだ、驚異の新人と目されるあの人の話題の恋愛小説を、この機会に一丁読んでみようではないか。



松家仁之『沈むフランシス』
東京での仕事も同棲も解消し、幼いころの記憶に呼び戻されるかのように単身北海道へ移り住むことになったヒロイン・桂子。

「いまっていうのは、経験と記憶のうえにたよりなくのっかっているものだから、ときどきはふり返って、自分はどうしていまここにこうしているのか、考えてみたほうがいいんじゃないの。」

しかるべき時にこういうことをさらりと伝えることのできる聡明な女性だ。
しかも娘時代はもちろんのこと、無骨な郵便配達員の制服に身を包んでいる時でさえ男たちから性的な視線を投げかけられるという、いわゆるの「いい女」。
その彼女がひょんなことで知り合い、あっという間に恋に落ちるのが、「音」に異常とも思えるこだわりをみせる、謎めいた1人の男。
つまり一言でいうと「北の大地で繰り広げられる、いい女といい男のラブロマンス」なわけだが、余計なことに私は『ぼくのオーディオ ジコマン開陳 ドスンとくるサウンドを求めて全国探訪』などという快著を読んでおり、オーディオマニアの正気とは思えない実態を垣間見ている。

であるから、音質を追求するあまりマイ電柱を製作するような御仁がですね、本作に登場するような「きれいな指で」「清潔な笑顔で」「美味なシチューを手際よく作れて」「ミントや石鹸の匂いがする」イケてるメンであるとはどうしても思えず(笑)、小説の世界にすんなり入り込めなかった。気持ちよくのれなかったのである。

まあしかし、当然のことながら単なる「いい男」ではないということが徐々に明らかになり、おっと思うような濃厚ラブシーンなんかもあって、物語はしっとりした情感とほろ苦さを漂わせる展開になってゆく。二人の背景となる季節の移り変わりの繊細な描写はおそらく著者の真骨頂、冬の日に雪の結晶が舞い落ちるシーンは美しく、「フランシス」はじめ小道具の使い方もユニークだ。
あと、何か得体のしれないものにつき動かされてどこかへ放出される、という冒頭のイメージが鮮烈で、映画のオープニング的な高揚感もあって一気に読ませる手腕はさすがである。
そうさなあ・・・フランソワ・トリュフォーの大人な恋愛映画が好きな人なんかは、スムーズに気持ちよく酔える小説かもしれません。


(2013年12月27日記)

追記:トリュフォー、いつまでも人気ありますよねぇ。『華氏451』はちょっと観たい。