an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

花には香り 本には毒を

京都市内の桜はそろそろ見おさめ、私の地元では今が盛り、先週末訪れた滋賀県信楽はまだ三分咲き、そして被災地・仙台では梅が満開だという知らせが届いた。
それぞれの地にゆるやかに、だが着実に春がやってきている。


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◆ジョルジュ・シムノン『倫敦から来た男』を読む。

倫敦から来た男--【シムノン本格小説選】

倫敦から来た男--【シムノン本格小説選】

価格やボリュームに気圧されて文庫以外はなかなか手が出せない翻訳ものだが、風変わりなタイトルの小説に興味をひかれたり、装丁の美しい本にうっとり見入ったり、あれこれ物色するのは本屋さんめぐりの楽しみの一つだ。
んん?このタイトルは・・・たしか最近映画になってたな。渋くてカッコいい黒表紙ではないか。G・シムノンって聞いたことはあるけど・・・なになに、江戸川乱歩が愛読してた?どれどれ・・・

人はそのときの数時間を、いつもの数時間とおなじように見なしてしまう。しかし、あとになってから、それが異例の数時間であったことに気づき、ひたすら失われたばらばらの数時間を復元しようと努め、脈絡のない一分一秒をつなぎ合わせようとする

よし、この後はゆっくり家で楽しむとするか。
ネット購入は便利なれど、こういう思いがけない出会いがあるから本屋通いはやめられない。
本作はタイトルや前述した冒頭文から想像しそうな、いわゆる推理小説ではない。謎めいた人物が登場して殺人も起こるが、その謎を解き犯人を追いつめる「動」の展開ではなく、一人の人間の内をじっと見据えた「静」の犯罪小説といえようか。
ささいな出来心による行為、それがみるみる取り返しがつかないことになってゆく猛烈な焦燥感と恐怖、追いつめられているのに何故か笑みさえ浮かんでしまう奇妙な高揚感、そしてあっけない幕切れとやるせない解放感・・・犯罪までは思いもよらぬこととはいえ、誰しも少なからず覚えがあるこれらの心理描写はぐっと身に迫るものがあるし、感情移入しやすいごく普通の、家族の重荷を抱えた初老の男を主役にもってきたことで、もの哀しい余韻が残る物語に仕上がっているように思う。
また、舞台となっているフランスの港町ディエップ(シムノンお気に入りの風光明媚な土地であるとか)の潮の匂いと深い霧、夜の暗さがこの静かなサスペンスに陰影と詩情を添えていた。うーん、これは映画の仕上がりも気になるところ、ぜひ観てみたいな。


倫敦(ロンドン)から来た男 [DVD]

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↑ なんと、監督がタル・ベーラなんですよねえ。



石井恭二『花には香り 本には毒を』を読む
この粋なタイトルは作家の石川淳が寄せたものだそう。
サド裁判埴谷雄高澁澤龍彦道元を語る」というサブタイトルそのままの内容、それらに関する回想風エッセイとインタビュー記事を集めたものだ。

花には香り本には毒を―サド裁判・埴谷雄高・渋沢龍彦・道元を語る

花には香り本には毒を―サド裁判・埴谷雄高・渋沢龍彦・道元を語る

あらゆる方面でモロ出しが溢れかえっている今現在からみると、サドの小説(←実は全然知らんのですが・・・)で裁判て・・・一体どこまでマトモに成立しておるのだろうかそれは、と、逆に好奇心が刺激されて手に取ってみたのだ。
被告人は二人。
「当時の前衛党を自称したスターリン主義政治勢力とそれを取巻く御用インテリゲンチャへの猛烈な若い怒り」により現代思潮社を創業し、満を持して『悪徳の栄え』を出版した石井恭二氏。
・・・さすがに文体も内容もガッチガチに硬くて一歩もひかない構え、「あれはしかじかのものである、それは猥雑である、といった判断の強制において、権力の猥雑性は実現するものと考えられます。」などという言葉一つとってみても、こりゃさぞかし裁判所とは論旨がかみ合わなかったろうなあ・・・そもそもの立ち位置がまるで違うもの。
時に理詰めで難解、なんかもう冗談がいっこも通じなさそうな(笑)、やや挑発的な物言いをする人だが、「書物が読まれる、とはどのようなことであるか」を綴った最終意見陳述はなるほどなと肯首すること多く、読み応えがあった。
そしてもう一人。翻訳者であるご存知、澁澤龍彦
この人がまた・・・なんというか・・・色と香りが濃いお花をたくさん浮かべた猫足のバスタブの中でゆらゆら揺曳しているようなイメージの人であり、例えばですよ、“印鑑証明”とか“確定申告”とか“離婚調停”とか「お仕着せのフォームにちまちま記入してお上に提出」的なものが象徴するモロモロすべてが、あまりにも、あまりにも似合わない。
実際、裁判に係る実務的な作業がとても煩わしかったみたいで、裁判所の呼び出しに遅刻して弁護人に叱られたり、最終的には「税金の無駄である」との捨て台詞、彼にとっては迷惑以外のなにものでもなかったようだ。

・・・表現・出版の自由をめぐって糾弾されるおそれのある方は(いやいや、現代でも充分有り得ますよね)、参考までに本書を読んでみてもいいかもしれません。


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この流れで、澁澤龍彦の『思考の紋章学』(彼にしてはめずらしく日本の古典文学を多くとりあげたエッセイ。おもしろいです)の一編「ランプの廻転」に導かれ、泉鏡花の『草迷宮』を読んでみたのだ。

思考の紋章学 (河出文庫)

思考の紋章学 (河出文庫)

草迷宮 (岩波文庫)

草迷宮 (岩波文庫)

・・・これは・・・・ちょっとすごいですね。
まるで唄うようなあの独特の文体は少しばかり集中力が必要だが、うまく乗れるとまるで古酒に酩酊するような・・・いや、その匂いだけでむせ返るような陶酔感を味わえる。
うまく言葉にできるようになったら、気合を入れてレビューを書いてみたい作品となりました。



(2011年4月13日記)