梅雨やら台風やら低気圧な日々が続く6月も終盤、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こういう鬱陶しい時期は、気の合う誰かさんと『アメイジング・スパイダーマン』や『メン・イン・ブラック3』などのノーテンキで愉快な映画を観て乗りきりたいものだ、と思っていたのに。
・・・・・・一人でまたこんなんを観にいってしもた。↓
さて、61年にポーランドのイェジー・カヴァレロウィッチ監督が撮ったこの映画を観た方はどのくらいおられるだろう。
名匠と名高いアンジェイ・ワイダの諸作品とともに評されることが多いせいだろうか、厳しい境遇を簡潔かつ硬質なタッチで描いたリアリズム映画かなあ、くらいに思っていた。
このヨアンナなる尼僧は、さしずめ何らかの事情により自らの命を差し出すような献身的聖女であろう。ことによると宗教的な象徴をちりばめた、やや難解なものかもしれぬな。
・・・・・・まさか悪魔憑きの話だったとはね(笑)。
重々しく響く鐘の音、荒涼とした地にたたずむ修道院。
装飾が排された館内は日常性や現実味に欠け、どこか不穏な空気が立ち込めている。ここに住む尼僧たちはみな悪魔にとりつかれ、淫らな言葉を吐き奇矯なふるまいに及んでいるらしい。
そこへ、見るからに気の弱そうな牧師さんが悪魔祓いに赴くのだ。始終陰鬱な表情を浮かべ、時には自分を鞭打ち、時にはユダヤ教のラビにこっぴどく叱られ苦悶する彼を見て、こう思わずにはいられない。そ、そんな為体で悪魔と対決できるのかー!なにしろ、陶器の人形のように滑らかな肌に整った目鼻立ちのヨアンナがもう、ただごとでない憑かれぶりだ。壁ににじり寄りながら浮かべる笑顔、ブリッジの姿勢のまま(←『エクソシスト』!)目をカッと見開いて神への呪いの言葉を吐く様子のなんと邪悪なこと、すっきりした絵のような画面なのに(だからこそ?)ものすごいインパクトである。
これではとても勝ち目がないと悟った上、ヨアンナへの愛にも気づいてしまった若き牧師は、ついに悪魔と捨て身の取引を・・・
・・・というわけで、大変おもしろく『尼僧ヨアンナ』を鑑賞しました。
ストーリー自体はシンプルだし、「性的に抑圧された尼僧たちの集団ヒステリー」「ヨアンナの歪んだ自意識の表出」といった心理学的解釈も容易なわけだが、「悪魔憑き」という奇抜な題材からキリスト教文化の一端が見え隠れするところがなにより興味深い。
たとえば我々日本人は「憑く」といえば、「物の怪」あるいは「キツネ憑き」をまず思い浮かべないだろうか。これらはどうみても“下等ななにものか”であり、「人」とも「神」とも同列にできない。ましてや対決などと。
「西欧では悪魔つきがあっても動物つきはないのが定説である。彼らの「自我」は動物からはるかに遠い高みにあって、キツネごときのつけ入る隙はなく、ただ悪魔のみが人を誘惑しうる。」というのを昔感心して読んだのだけれど、「悪魔つきは現在も欧米に健在であるが、治療には精神科医とエクソルシストの協力が必要とされている。」(引用すべて中井久夫『治療文化論』より)などは今読んで吃驚だ。現代にも生き続ける悪魔祓い師・・・
そしてもう一つ、この少し前に観たL・V・トリアーの悪意に満ちた衝撃作『アンチクライスト』の余韻冷めやらぬこともあってか、「キリスト教のことはよくわからないけど・・・あなたたちそんなに女が恐いかね?」という戯言の類も思い浮かんだり。
最後に蛇足ながら・・・
ポーランドという国は、映画でいえばもう一人のイエジー、スコリモフスキもケッタイな映画ばかり撮る人だし、ベクシンスキーみたいな絵描きがいたり、スタニスワフ・レムとかブルーノ・シュルツみたいな作家がいたりして何やら異端文化の巣窟の感がある。
一体どうなっておるのだ、ちょっとおかしいんじゃないのかこの国は!
ええぞもっとやれーと思った次第。
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(2012年6月27日記)