an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

けむりの居場所

煙草はまさに人間の営みそのもの。喜怒哀楽、それぞれに煙草がつきまとう。
行間から立ちのぼる紫煙を追えば、これぞ至福の時。煙草は素晴らしい。

この本は、煙草に捧げるオマージュである。

煙草にまつわる小話を集めた『けむりの居場所』野坂昭如の序文である。
一読して思わず眉をひそめた方がいらっしゃるだろうか。
一方、煙の居場所どころか身の置き所もねえよ、というのが現在の愛煙家の心情だろう。・・・・・・少し昔を振り返ってみる。

私が就職したのは1993年、住宅設備機器メーカーの京都支店で、男性社員はほぼ全員が営業、どちらかというとマッチョな業界でもあり、そのほとんどが喫煙者だった。ガチガチに緊張して電話をとる私の隣でお兄さんはひっきりなしにラッキーストライクを吸っていて、その独特の匂いの煙を毎日モロに受けていたけれど(・・・もっとも営業なのであんまり事務所にいないわけだが)、仕事場なんてこんなもんだと思っていたし、しばらくすると「そりゃータバコでも吸わなやってられんわな・・・」とすら思うようになった。
その後まもなく社内で「喫煙場所」「喫煙時間」などをキッチリ決めだしたのは、世間のトレンドにいち早くのっかっただけなのか、それとも何か切実な訴えがあったのかは思い出せない。だが当時は双方譲りあい、「吸う人」と「吸わない人」はけっこう平和に共存していたのである。
ところがどうでしょう。
今や喫煙場所は次々と撤去され、値段はどんどん上がり、喫煙者はまるで「一刻も早く矯正すべき依存症」扱いではないか?このあからさまな排除ぶり・・・やりすぎだと思うけどなあ。(もちろんマナーが悪い喫煙者は論外です)
かくいう私が元喫煙者で(20代後半から35くらいまで吸ってたかなあ)、当事者意識のなごりがそう思わせるところもあろうが、なにより「世のため人のため」というような、正義の味方気取りでタスポなるカードをわざわざ拵えたり、鼻息荒く値段を吊り上げたりすることにほとほとうんざりしているのだ。 もうちょっとスマートに、大人の寛容さと想像力を以ってタバコとつきあえないもんだろうかね・・・

そう、まずは皆さん一緒に「一服しながら読める」くらいの気軽さで、物語と紫煙を楽しむ、なんていうのはどうでしょう。
開高健(彼ならば葉巻もパイプもこなせそう!)、ヘヴィ・スモーカーで知られた市川昆、サトウハチロー(一日120本!)、田中小実昌滝田ゆう古井由吉赤塚不二夫荒川洋治三國連太郎鈴木清順壇一雄辻村寿三郎などなど・・・錚々たる個性派の書き手たちが(ここにもう1人、ガンに病んでも死ぬまでタバコをやめなかった佐野洋子さんが入っていたら完璧だったな)その魅力について語るのだ。
好きなものについて書かれた文章特有のふわふわした浮遊感があったり、初恋を語るがごとき初々しさがあったり、レナード・バーンスタイン(ヘヴィ・スモーカーだったそうです)のコミカルなエピソードに苦笑したり、杉浦日向子さんによる遊女のキセルをめぐる艶っぽい話にニヤニヤしたり・・・
本書を手に取る方の心に、マッチを擦って一瞬灯る小さなゆらめきのようなものが残ればうれしいな。

                        


上の写真は若かりし日の北杜夫高峰秀子。お二人とも煙草を愛しました。


けむりの居場所

けむりの居場所


(2011年11月14日記)