an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

不惑・・・?

・・・昔の人はよほど老成しておったのであろうか。
「四十にして惑わず。」・・・無理だってば、そんなもん。
まことに遺憾ながら、迷いまくりのコケまくりなのに年齢だけは“不惑”に達してしまいましたとさ。はは。

・・・だからといって今更ネガティヴな気分になったわけではないけれど、今回取り上げる本を改めて眺めてみたら、「不安」とか「困惑」とか「焦燥」とか「恐怖」とかそんな言葉が浮かんでくるものばっかりなんですけどどうしたらいいですか。


◆『俺俺』星野智幸

新聞記者上がりで、なに、ガルシア=マルケスやらボルヘスやら中南米文学が好きすぎてメキシコへ文学留学?変わった人やな〜・・・と著者のその経歴にそそられたのと、夭折の画家・石田徹也の絵と「俺俺」というタイトルの語感の並びが胡乱さ倍増の表紙を見て、ついつい手に取ってしまった本作。
冒頭からたたみかけるような「オレオレ詐欺」まがいの展開、いかにもアタマ悪そうな感じだけどテンポのいい会話は笑えるし、え、それで、それで?とページを繰る手が止まらない。
「俺」があいつであいつが「俺」・・・「俺」と対峙する「俺」、変貌する「俺」、増殖する「俺」。で、ここにいる「俺」は一体。“アイデンティティ・クライシス”などという手垢に塗れた題材をユニークな暗喩でおもしろく読ませる、いいアイデアだと思う。この種の不安って、多少なりとも誰にでもなじみがあるものだと思うし。
・・・しかし「電車の乗客がすべて俺」というシチュエーションに至って俄かにそれまでの切迫感が薄れた。「俺」の息づかいがリアルに感じられる「あいつ」くらいまでの距離でないとその切実さが伝わってこないのは何故だろう。物語自体はどんどんサバイバルになって「恐怖」の様相を帯びてくるというのに。

◆『動物園 世界が終る場所』マイケル・ヴェンチュラ

 彼が外科医になったのはナイフが怖かったからだ。
 結婚したのは女性が怖かったから。
 子供を作ったのは責任が怖かったから。

 今、彼の結婚生活は終り、子供はもう彼に話しかけようとはしない。
 彼は家の電気をすべて消す。闇が怖かったから。

これで続きが気にならない人はあまりいないんじゃないか・・?と思うほど上手い滑り出しだ。しかしなにしろ「世界が終る場所」だ。愉快な小説ではない。
1人のセンシティヴな男が、言葉の持つ限界と可能性を、愛する女性たちと息子との間で不器用ながらも懸命に模索するような、そういう物語だが、動物園で虎が厳かに話しかけてきたり、双頭の蛇に出くわしたり、シュールで不気味なテイストも効果的に散りばめられている。またシンプルな表現で言葉にしにくいものや、ふらふらと安定せず時に狂おしくさし迫る心情を描きだすのがとても巧い書き手だ(いわゆるパニック障害に陥る状態をかなりリアルに疑似体験できると思う。そんな体験お断り、という方もいらっしゃるでしょうが・・・)。
物語のハイライトともいえる、ちょっぴりエキセントリックな女性(←『ベティ・ブルー』の頃のベアトリス・ダルのイメージで)とのラヴ・シーンも鮮烈で(ワタシ的にはこれはloveというよりもむしろpassion というか、バチッと火花を放つ「放電」みたいな印象でした)、読者によってはこのシーンの余韻が後を引いて「女の愛によって自分を取り戻していくハッピー・エンド」ととらえる向きもあろう。
だが私の見立てでは、主人公ジェームズは「ショック療法により寛解、再発の恐れあり」くらいなもんだろうと思う。まだまだしんどいだろうけど大丈夫、大きな精神的危機は一段落、というところかな。・・・それで充分ですよね。

著者についてはよく知らないのですが、本業はコラムニストで、スティーヴ・エリクソンのお友達だそうです。(序文で彼の文才を絶賛しています)
訳者は“柴田元幸門下生”。うん、やはりこなれていると思います。読みやすい。
・・・そのあたりも含めて、興味のある方はぜひどうぞ。


◆『気晴らしの発見』山村修

山村修さんの“極上書評”はほとんど読みつくしてしまったので(新刊が読めないのが残念至極)、今回はエッセイをひとつご紹介。
著者は長く睡眠障害に苦しみ、鬱病寸前の時期があったそうで、その頃のあれこれを書いたものだ。
そういう性分なんだろう、科学的見地から原因を冷静に考え分析し、地味ながらも日々の対策を自分に課す・・・とまあ、内容としてはわりと重いのだが、書評同様、その言葉はやわらかく表現は軽やかだ。ストレスにまつわる様々な歴史的エピソードや、著名な科学者やヴァレリーの文章を合間に引用したり、博識を効果的に挿入して読み応えのあるものにしているのもさすが。

ひょんなことで参加した森田雄三氏(イッセー尾形とのコンビで有名な演出家)のワークショップでの悪戦苦闘ぶりとその体験による自身の変化なども語られ、このあたりも興味深いところだ。
知らない人たちの中で大声で叫んだり、身体を動かしたりして「さあ、自分を解放するんだ!」的なものがとてもとても苦手で、そんな場面を想像するだけでなんだか落ちつかなくなる私だが、著者もどうやら同様だったようで、その困惑ぶりが微笑ましい。そして読んでいるうちに、ややハードな“気晴らし”として、こういう方法もありかもな、と思ったのだった。
・・・いやはや、さらっと読めてしまうのに「発見」の多い本である。


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私の中では「何一つ見るべきものなし」との評価に甘んじていた京都府福知山市へ、何しに行ったかといいますと・・・「福知山動物園」です。
・・・とはいっても、いるのは豚やヤギやニワトリといった家畜がほとんどで、職員さんが全員お爺さんだったり生ゴミがやたらと目に付いたり遊具がオンボロだったりして全体的に残念なところなのですが・・・


           おっぴろげたアライグマとか・・・

      


          奇声を発して走り去るウリ坊とか・・・ 


      


 ・・・この弛緩しきった感じがほのぼの、と言えなくもありません(笑)。

           
      あっ、あれは!!子ザルを背に乗せて走るウリ坊!!
      くーーーーっ、か、かわいいじゃないかお前ら!! 



      



(2010年9月22日記)