国語の授業に詩が登場するのは小学校の高学年くらいだったろうか。
作者と鑑賞のコツ的な解説がひととおりなされて、さあでは詩を作ってみましょう!ということになった。
今思えば教師の苦しまぎれの思いつきであろう、皆さんは「私は〜と思いました」という文章を書きますね。ここから「私は」と「と思いました」を取り払えば詩になります!というようなことを言ったのだが、私はこれに頭を抱えてしまった。思いつきの言葉をただ書き並べればいいものを(表現の世界には「前衛」という便利なものがありますしね・・・)、詩というものには散文とは違う確固たるルールがあり、それに従って作らねばならぬ。主語・述語はまかりならん、と解釈してしまったようだ。いつまでも提出できず、つのる焦燥感・・・文章を書くことが人並み以上に好きな私が「創作」を試みたことが一度もないのは、たぶんこのへんがトラウマになってるな。
そして教科書に登場する詩の多くは「山のあなたの空遠く」とか「まだあげ初めし前髪の」とか、音韻とリズムが良くて口ずさんでなんとなく心地いい感じ、なんというか、言葉遊びみたいなテクニカルなイメージがあった。朔太郎も三好達治も草野心平も全然ピンとこなかった。
それがしばらくして、どうも世の中には、あきらかに常人とは異なる言語感覚を持っている人がいる、ということに気付いたきっかけは、やっぱりこれかなぁ。
わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
・・・・・・
宮沢賢治「春と修羅」序より抜粋
この言葉遣いは何度読んでも異空間に触れるような気分になるし、技巧に走って作れるもんじゃ、ありませんよね。
そしてもう1人。以前作家の町田康が、そのゆかりの地を訪ねて歩く、というTV番組を見たことがあって「へえ。町蔵、中原中也が好きなんや・・・」と意外な感じがしたのだが(いかにも人気のあるものには背を向けそうですからね)、「汚れちまった悲しみ」とか「私の上に降る雪」とか「茶色い戦争」とかキャッチーな言葉をちりばめてロマンティックで叙情的な世界を紡ぎだす中原中也の詩は、日本人(パンクロッカーさえも・・・)の琴線にふれる普遍的なものがあるのだろう。・・・とは誰しも思うところだが、先日、妙な風味の詩の一節をある本の中で発見。
さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
いろいろお世話になりましたねえ
いろいろお世話になりました
さよなら、 さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に
・・・・・中原中也「別離」より抜粋
飄々とした空気の中に、微かに心をふるわせるこの哀切。例えばネイティヴ・アメリカンの口承詩「今日は死ぬのにもってこいの日」に通ずるような(だってこんなにさよならを連発されたら「今わの際」を思わないわけにはいかない)、こういう風合いの詩はちょっとめずらしいような気がするな。詩としては稚拙な出来なんだろうが、不思議に忘れがたい小品だ。
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こんなの一体誰が買うのかね、と常々思っている雑誌のひとつ「現代詩手帖」の8月号は「四川大地震を前に」という企画にて、少しばかり詩の心得のある人たち(セミプロレベル・・・?)の作品が多く掲載され、実は私の父の作品も載っている。
まあそんなわけでちょっと眺めてみたのだけれど、吉増剛造が圧倒的決定的にかっこいいので他が一瞬にして全部かすんでしまったのであった。
父よ、才能の力とは残酷なものであるな。
・・・最後になりましたが、日記タイトルは荒川洋治「美代子、石を投げなさい」のラスト・フレーズです。これも抜群にかっこいいですね。
(2008年10月23日記)