an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

『母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙』谷川俊太郎

母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙 (新潮文庫)

母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙 (新潮文庫)

覗き見的好奇心とお手並み拝見。人様の恋文を読もうなんて無粋なことをする理由はせいぜいこんなとこですな(笑)。加えて言うなら舞台は京都、多喜子さんは私と同じ大学出身、親しみは少なからず覚えるし、なんと言っても後に当代随一の詩人を生むことになるこの2人が、恋の不安を、喜びを、陶酔を、そして痛みをどのような言葉にしてどのように伝えようとしたのか・・・興味そそりますよね、やっぱり。

大正時代の若者の風俗やものの考え方や言葉遣いなど、面白く感じるところもあれど、最初のうちは「あなたのことが気になって気になって」というのが基調となった、微苦笑誘ういわゆる、普通のラブレターなのでありますが、皆様、見所は後半の展開なのですよ。

京大を出たばかりの哲学者のタマゴである徹三さんは、恋愛感情に翻弄されながらも、そのような状態にある自分を、さらには恋人を猛烈な勢いで分析し始めるのである。時にはロマンチックな詩を朗々と披露することもあるが、非常に論理的、理詰めで説明しようとする頭でっかちなタイプである。その人の魅力にもなりうる、ステキにいいかげんだったり、曖昧だったりする言葉を拒絶するようなところがある。こういう男とタメをはるのはそうとう大変だ、と私なんかは思うのだけれど、鷹揚なお嬢さんは、このインテリ美青年に文字通り夢中になってしまうのだな。分析しすぎる男と盲目的な女。これは危険だ・・・。

・・・30年後に書かれた多喜子さんから徹三さんへ宛てられた手紙によって、その後の2人に何が起こったのかを読者は知ることになるのだけれど、ああ、なんとやるせないことだ。貴女は自分を幸福だと言うけれど、そんなはずないでしょう?その痛みは、愛する人に伝わっていましたか?
この衝撃的な手紙をクライマックスにもってくることで、ひとつの恋愛を奥行きのある「作品」に仕立て上げ、タイトルを『母の恋文』とした谷川俊太郎、さすがに慧眼の士であることよ。
(2007.11.2記)


>追記
まったく男ってやつぁロクなもんじゃないよ・・・と思う本にはたいへんよく出会いますが(笑)、この本もそうかもー。