an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

そうだ、宇宙、行こう。

そう遠くない将来、1500万だか2000万だかで宇宙旅行が楽しめるようになるらしいが、それだけのお金があればまずは地球上をあちこち行きたいな、と思う私は今のところ宇宙への旅は本の中だけで充分である。

そうだ、宇宙、行こう。よろしければ、ご一緒に。



◆『宇宙からの帰還』立花隆

まずはastronauts −アメリカ(NASA)の宇宙飛行士たちの話から始めよう。
ジャーナリストの立花隆が宇宙飛行士をインタビューして解説を加えたもので、これは読まれた方も多いんじゃないかな。
私がこの本を読んだのはずいぶん昔のことだが、「帰ってきた宇宙飛行士の中には、突如として伝道師になったり、月の絵ばかり描く画家になったり、あまつさえ社会生活をまともにおくれぬほど精神に変調をきたす者が少なからずいるのだ!」というような、いささか歪なレビューをどこかで目にして、「すわ、オカルトか!? 」と思ってドキドキわくわくしながら手に取ったのを覚えている。しかし、もちろん80年代の立花隆がオカルトであるはずがなく(今は知りません)、バリバリ硬派なドキュメンタリーである。

なにしろ冒頭から過酷な宇宙空間の実体や時間の概念が具体的かつメカニカルに、細かい数値付きで解説される。例えば時間の相対性を説明するのに、地球上で定義されている「一秒」とは、「セシウム一三三原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する電磁波放射の周期の九、一九二、六三一、七七〇倍である」などといわれたり、人間が無防備な状態でイキナリ宇宙へ飛び出したらどんなことになるか、その惨状を淡々と列記されたりすると、「なるほど。普段のスケールでものを考えてどうにかなるような所ではないようだな」とか「どうもこうもたいへんなことになっとるらしいな月環境というのは」くらいのことは私のボンヤリ頭の中にも絶えず過ぎり、なんとなく落ちつかない気分になるほどだ。

・・・ウエットなドラマやロマンは皆無、堅牢で無機質でクール&ドライな物理的事象があるだけ。そんなところに、あれこれ余計なことを考えずにはいられない人間を放り込んだらどうなるか。
「宇宙体験をすると、前と同じ人間ではありえない。」(byラッセル・シュワイカート)とは私でもなんとなく想像できるが、帰還後に神の存在を確信する人、ビジネス界や政界で活躍する人、はたまた一切その体験を語らず内に閉じこもる人など当然ながら様々だ。
しかしこれらの体験を読み、共通して強く感じるのは、「宇宙へ行った」というただそれだけのことが(←こうして言葉にすると実にシンプルなことに思える!)、人間の精神にこれほどの大きな影響を与えるという、不思議さ不可解さである。そのあたりは本書を読んでぜひ感じとっていただきたいところだ。
インタビューでは百戦錬磨の宇宙飛行士たちから思わぬ本音や哲学的な考察を引き出したり、かと思えば仲間同士のつまらない内輪モメとか女性関係のゴシップなんかもぬかりなく取り上げて硬軟バランスよく人物を浮かび上がらせる立花隆の手腕もお見事。パラパラと拾い読みのつもりがついつい引き込まれてしまったほど、おもしろい一作です。


◆『宇宙飛行士 オモン・ラー』ヴィクトル・ペレーヴィン

次はロシアから、cosmonautsを主人公にした奇妙な小説を。
現代ロシア作家なんて全然知らないのだけど、トヨザキ社長がどこかで紹介していたのを覚えていて、以来興味を持っていたのだ。タイトルと表紙もなんかヘンだし。

“月”を目指すべく宇宙飛行士となったオモンが“太陽神ラー”を名乗ったり、月世界の“表”がアメリカのものならば“裏”は我々ロシアの手中にあり、という妙な設定や、現実離れした組織と計画に翻弄されるオモン・・・など、ことさら戯画化された表現に満ちた本作は、「自分が信じていた権威やテクノロジー、そして大切な夢や思い出さえも、実は見知らぬ誰かが拵えた即席のハリボテにすぎないのかも・・・!」というような、全編を覆うムードはブラック・コメディのそれである(但し次々起こるハプニングのトーンが重いので笑えない)。これを訳者は解説で「悪夢的な酩酊感」と表現していたが、う〜ん、酩酊というにはドタバタしすぎる感があるけれど、悪夢的というのは肯ける。
詩句の引用や何かを象徴するような小道具がいろいろ登場するのも、夢解き風の効果を出そうとしているのかもしれないな。

・・・と、イマイチうまく読みこなせていないような気もするが、ラストシーンではささやかな希望を提示していて悪くない。これが今のロシア風、か。
このように、なかなかすんなりとは落ちつかない奇天烈な物語であるので、いろんな感想を持つ方がおられるだろう。読んだ方はぜひお聞かせください。

著者は「ロシアの村上春樹」と称されるそうだが、「この一大事を前になに一人すましてんだよ」的な主人公のスタンスのとり方なんかは、なんとなく春樹っぽいかもしれません。(←すいません、近作読んでないのでテキトー発言)

以来僕は人知れず、少しずつ変わっていった。あまり他人の考えに興味を持たなくなった。なぜなら、いずれにせよ他人はだれも僕に用などないし、他人は僕のことを思うのではなく僕の写真のことを、僕自身が他人の写真について思うときと同じ無関心さで思うだけだと悟ったからだ。

死という言葉は、ずっと前から貼りっぱなしになっている壁の張り紙の文字のように存在していた。
そこにあるのはわかっているものの、目を留めることは決してない。


◆『ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験』大鐘良一 小原健右 ◆

さて、いよいよ日本の宇宙飛行士の登場・・・だが、ここに登場するのはタマゴの皆さん。

私はかねがね思っていたのだ。
宇宙飛行士に選ばれる人はどうしてこうも感じのいい人ばかりなのか。
「すばらしく優秀な、仰ぎみるような存在」というより、「ちょっとだけでいいので、お話してみたいな・・・」とついつい思ってしまうような、親しみやすい雰囲気を持った人たちばかりである。一体どうやってこんな人を選び出すんだろう・・・というミーハー的好奇心から手に取った本書だが、これがおもしろかった。
予想通り、学歴とかキャリアとか身体能力とか、簡単に数値化できて優劣が決まってしまうものよりも、人柄や耐性や他者とのコミュニケーション能力など、ある種天性の資質ともいえる部分が重要視されている・・・などといってしまうとどこかのイージー自己啓発本みたいだが、そこは宇宙飛行士の選抜試験である。集団作業の課題では、限られた条件の下「新たに設立する会社の趣意書を作成し、審査に申請して許可を得ること」だの「国際宇宙ステーションで暮らす宇宙飛行士たちの“心を癒す”ロボットを作れ」だのといった難問ばかり。
それぞれ異なる分野でのプロフェッショナルたちが、慣れない閉鎖環境でそれらに挑み試行錯誤を重ね、ある時はリーダー、ある時はフォロワー、そしてまたある時には思わぬ落とし穴にはまり込み・・・いやいやホント、そこらのドラマよりよっぽどエキサイティングな物語が展開されるのだ。試験するほうもされるほうも、文字通り“The light stuff”を見出すためのガチンコ勝負。
・・・やはり華やかな世界の舞台裏をのぞき見るのは楽しいもんだ、と再認識。
はい、こんな私はもちろん「プロジェクトX」のファンです。


     ・・・・・・まあ、しかしね。
     実は一番おもしろいと思うのはコレだったりするんだな。

  
                ↓  ↓ 

     
      


映画ではムッちゃんの役はどこかの男前なタレントさんがやるみたいだけど、皆さんもおっしゃるように、ここは(髪型的にも)大泉洋さんじゃないですかねえ、やっぱり。


(2011年11月26日記)