an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

ジム・オルーク、『Waltz with Bashir』、エドワード・サイード

皆さんこんにちは。
「実はほとんど聴いたことないけど、安いし近かったんでつい行ってみたところとってもよかったのよLiveレポート:第三弾」の時間です。(・・・シリーズだったのか)

今回のお目当ては「石橋英子with ジム・オルーク、須藤俊明、山本達久」 


      


メインはピアノとヴォーカル、そしてギターとリズム隊というシンプルなバンド編成である。・・・そもそも私は女性ミュージシャンをあんまり知らない。で、たまに聴くのがビョークとかケイト・ブッシュとか初期の矢野顕子といった憑依系アーティストばかりで我ながらちょっとどうかと思うし、レイ・ハラカミさんが「英子の新しいアルバム、すっごくいい!」と言ってたのをタイミングよく思い出し、たまにはイマドキの音楽ってヤツを聴いてみっか、と思い立ったわけだ。
(そうそう、彼女、七尾旅人とのコラボでも有名ですね)

場所は日暮れとともに酔漢であふれる京都は木屋町通のど真ん中、元・立誠小学校。廃校にはなってしまったけれど、地元の人たちによって大切に保存され様々なイベントに活用されている様子、そのユニークさにも興味を引かれた。
うん、確かに建物にはそろそろアンティークな風合いが出てきていい感じ。
小さなトイレ、中庭の手洗い、職員室、廊下には姿見・・・校舎って薄暗くなるとなんとなく物寂しいのよね。しばしセンチメンタルな気分に浸る。講堂には舞台代わりに畳が敷かれ、丁寧にイスを並べてアットホームな手づくり空間を演出・・・は、いいんだけどさ。
当日の京都は冷たい雨がそぼ降る悪天候、空調設備のない特設ステージは、バンドメンバーや裏方さんの気負いとは裏腹に、それはもうしんしんと、寒々と冷え込むのでありました。・・・ううう寒いよう。
防寒のためか大きなフェイクファーの帽子をかぶって英子ちゃん登場、その歌声はハスキーすぎず高すぎず、耳にやさしいミディアム・トーン。
話すと落ち着いたお姉さん風なのに、歌うとナゼかちょっぴり舌足らず、「もしもし、わたしのこえ、きこえてる?」というようなinnocentな感じの歌詞をピアノの音色の上で転がすように歌いはじめ・・・それが中盤から一変、ジムのギターがぐおーん、と鳴り響き、それを追うようにベースとドラムがドドドドドッとたたみかける、アヴァンギャルドかつrockなサウンドに思わずのけぞった。
おおっ、ここでこうくるか!的意表をつくカッコよさ。
これってジムさんのライブ用アレンジかなあ。・・・さすがだわ。

もとより演奏するための場所ではないので音響設備的に四苦八苦、という現場だったと思うけど、こんなふうに腹に響くナマの音を聴くと、心身のどこかよくない部分が浄化されていくような気がする。ついでにいうと寒さも忘れちゃってた。
またしても、音楽の持つ力にひれ伏す一夜となりました。



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例えば政治、経済、国際情勢、その他社会問題のあれこれ。
・・・まあそういった難しげなことはね、私以外の誰か偉い人が考えていただければ。 長年そう思ってきたわけである。・・・・しかしだ。
初めて見た時は思わず笑ってしまったけれど、以来なんとなく私の中で燻っているこの言葉が、日々徐々に大きくなってきているのを白状しよう。

      
 ・・・別にいいような気もするけど・・・・・・やっぱちょっとイヤだ。

だからといってそう簡単に丸山眞男とか岩井克人、なんなら明日から『資本論』でも読んでみっかな・・・などというワケにはいくはずもなく、そういった硬派な話題はTBSラジオ「ストリーム」やネット・トーク番組「博士も知らないニッポンのウラ」、贔屓のブログ、映画など、書籍以外のメディアに頼ることがほとんどである。サブカル色濃いめで恐縮だが、知るきっかけになるのなら入口なんかどこだっていいやと思っているのと、とてもわかりやすくて面白い解説をしてくれる人たちの話芸にすっかり魅了されたのだ。

そして映画。ドキュメンタリー映画には、実に様々なことを教えてもらっている。
先日『戦場でワルツを』というイスラエルのアニメーション・ドキュメンタリー映画を観た。

年がら年中戦争をやっているこの国のこと、もちろん中東戦争が題材だ。
「ヨルダン人、パレスチナ人、レバノン在住キリスト教徒、シリア軍、そしてイスラエル軍レバノン内で五つ巴」(by町山智浩)という複雑怪奇なこの内戦状態は、当のイスラエル兵でさえ何処へ行って誰を攻撃するのかよくわかっていないという有様。
見えない敵への恐怖から、ベイルートに入るや戦車上から1日中絶え間なく機関銃を乱射し続ける・・・信じられないほどメチャクチャな話だが、そんな大昔のことではなく(80年代)、基本的には今もあんまり変わってないんじゃないかな。
兵士だった主人公は奇妙な幻想と記憶障害に悩まされており、かつて戦場をともにした人たちを訪ねて当時の話をしてもらい、封印された記憶を取り戻そうとする。
「訪ねて行った人間に自分の行為を思い出させる」という、これとは逆の設定を持った恐るべき怪作『ゆきゆきて、神軍』を思い出したのは私だけ・・・と思うが、ラストシーンの凄まじさにおいて勝るとも劣らない。衝撃のあまり言葉がでなかった。

なんでこんなひどいことが起こったのか知りたい・・・おずおずと次の段階に進んでみた。そう、パレスチナ・中東問題といえばこの人をおいて他にない。

私は自分の知的レベルをよく承知しているので、いきなり名著『オリエンタリズム』に挑んで3日で玉砕、その後永遠に積読・・・などという愚はおかさないのである。
あなたは誰。・・・まずそこから始めてみた。エドワード・W・サイード
ごくわかりやすい言葉でさくさくインタビューはすすんでゆく。その分註釈が多いけどそう難しいものではなく、読み進むにつれ今までボンヤリしていたものの輪郭が少しずつ見えてくるようで、得るところが大変多かった。
「このままじゃいけない、何とかしないと!」と立ち上がった人たちの多くが殺害され、悪夢と混沌そのもののような世界を淡々と話すサイード
さて、もう一歩踏み込むなら、『ペンと剣』あたりかな・・・

ちなみに映画『戦場でワルツを』は2009年のアカデミー外国語映画賞にノミネートされたが、わが日本の『おくりびと』に賞をゆずっている。『おくりびと』は私も観ており、悪くない映画だと思うし、こういうのが好きな人がいるのもわかるけれど、アカデミーたるもの、賞を与えるならばどう考えても『戦場でワルツを』のほうだと思うんだけどなあ。



(2011年3月9日記)