an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

東西競演

春を目前に冷え込みが続く京の如月。
何を思ったか、先日いつもより短く髪を刈り込んでいただいたところ、もとより量が多くて硬くて太い髪の毛が少量のワックスで見事に総立ち、スーパーサイヤ人状態のわたくしです。・・・このような男っぷりが評価されたのでしょうか、先般のバレンタインデーには、車椅子のイケメン・あきら君から舶来もののトリュフ詰め合わせをいただきました。
・・・ありがとな。


◆『動くな、死ね、甦れ!』(V・カネフスキー監督)を観る。

      

「かけねなしの傑作であり、これを見逃すことは生涯の損失につながるだろう」という蓮實重彦センセイの言葉に煽られたわけではないが、衝撃作との噂は耳にしているし直訳だというタイトルも挑発的でそそられるし、いつになく気合の入った態勢にて鑑賞。

厳しい現実を生のまま映し出そうとするドキュメンタリー風味の映像はロベール・ブレッソンを思わせるが、もう少しエモーショナルにした感じだろうか。
人々が保身のためにわあわあ喚き、自暴自棄になったあげく狂っていく様は、ドストエフスキーの描いたロシアの精神風土をまざまざとリアルに見せつけられるようで、思わずのけぞるほどの迫力だ。他者に対するすさまじい不信感、どんよりと曇った空、どろどろとぬかるんだ地面。そしてささいな出来心からみるみる取り返しのつかない状況へ追い込まれる、ちりちりとした焦燥感。
微笑ましいやりとりや、うっすらと詩情を漂わせる美しい場面もあれど、このラストシーンはあまりのことになかなか頭の中で整理できず、「一体なんなんだ、これは・・・」と考え込んでしまった。こういう感覚は久しぶり。悪くない。
・・・他の人の感想をぜひ聞いてみたいな。


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さて。
映画やライブは予備知識がなくても少々遠方でもひょいひょい行ってしまう私だが、「芝居」というのをあんまり観ていないことにフト気がついた。大昔に観た唐十郎、リンゼイ・ケンプ(どっちもヘンでした・・・)、それくらいか?あ、あとイッセー尾形
最近は松尾スズキさんとか本谷有希子さんとか、小説なんかも器用にこなす活きのいい方々が演劇界にはおられて、芝居の世界も実はとっても面白いのかも・・・・と思うこともあるが、総じて「舞台芸術」に疎い。ミュージカル、オペラ、舞踏etc・・・全然知らない。

「映画は大好きだが、ナマなニンゲンがでてくる芝居やミュージカルは恥ずかしくて見ていられない」という田中小実昌のこの感覚、わかるんだよなあ。
(↑まあ、舞台といえばストリップ特出し、って人ですからねえ・・・・)
映画を見慣れた者にはどうしたって舞台役者はオーバーアクションで見ていてしんどいし、「劇団四季」っぽい世界もすごく苦手なのだ(観たことないけど・・・)。
・・・ならばこれはどうだろう。同じオーバーアクションでも様式美の極致たる古典芸能。


      

何といっても「笑い」のある狂言はとっつきやすいし、東西競演、という試みも面白い。
会場は京都造形芸術大学「京都芸術劇場 春秋座」。
場所こそ町外れの感はあるものの、広い敷地内に立派な校舎と本格的な劇場を有しこのような催しを企画実行するとは、このご時勢に経営力の余裕が感じられます。
ぶっちゃけて言うと学費高そう。きっと浅田彰さんも京大時代とは比べものにならないほどの厚遇を受けておられるにちがいない、それにしても副学長に秋元康とはイメージ的にいかがなものか・・・と余計なお世話なことをさかんに思いめぐらしつつ会場へ。

一幕目は東方・野村家。
「三番叟」(さんばそう、と読みます)という古典狂言・・というか五穀豊穣を祈る祭儀的かつ呪術的な神事、ともいえるものだそう。
舞うのは野村萬斎、紫の直垂に剣先烏帽子の優雅な姿。笛や鼓の囃子方に合わせ、鈴を鳴らしながらダン、ダン、ダン!と大きな足拍子。かそけき鈴の音と力強いリズムに絡む謡、すべての所作のなんと美しいこと。後半部の黒い老人の面をつけた姿は、なにやらこの世ならざる者の妖しき気配がすうっと流れ出るようで、ひたと目を見張るほど。
二幕目は西方・茂山家「蝸牛」。
こちらはセリフ回しもやや現代風にアレンジされた、いわゆる「狂言」、親しみやすくてごくシンプルな笑い話だ。席は後方ながら花道間近だったので、「おおお、こんな大きな声が出るんや・・」とその声のうねりに感じ入ったり、コミカルな動作に思わず笑ってしまったり。狂言の舞台ではやはり爺さんが光ります。
この後のトーク会では、魅惑の低音で悠々と話す萬斎さんにうっとり見惚れてしまいました。・・・か、かっこええなあ〜この人。

・・・というわけで思いがけずも図らずも、古典芸能にすっかり魅了されたことでありました。次は歌舞伎が観たいぞ!

(2010年2月21日記)