an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

グルジアから吹く風

グルジア映画『懺悔』を観る。監督はテンギス・アブラゼ。

      

ある家族の苦難を描いて体制批判をしたとされる内容、153分という長尺、少女の射るような強いまなざし、そしてこのタイトル・・・私も含め多くの人は涙をしぼる悲劇的巨編を思い浮かべることだろう・・・そして大いに肩透かしを食らう。
私はこの作品を、スターリンの冷徹さとチャップリンの滑稽さをあわせ持つ「独裁者のイメージ」を体現したある男とその息子による「権力」と、それにまつわる「恐怖」によって崩壊していくなにものかを、象徴的かつ実験的な手法を用いて描いた意欲作、と受け止めた。
お花畑に白いピアノ、という牧歌的な背景の中に人を狂わすような断罪の場面を持ってきたり、唐突に朗々と歌われる「歓喜の歌」の中、キリストの磔刑を思わせる姿で少女の父の死を暗示してみせたり、魚を素手で貪り食う野蛮な神(?)と対峙したり・・・夢と現実を混在させたような不思議なシーンの数々は、暴力や事実をリアルに再現してみせるより時に強いメッセージを放つ。「どこか(実在する)遠い所で起きたお話」ではなく、「思いもよらないところで、誰にでも起こりうること」として。
しかし、当然のことながらここにはキリスト教的視点も重要なファクターとして盛り込まれるわけで、ことはそう単純ではない。権力者の父を持った息子が原罪まで遡ってその苦悩を語るとき、それをすんなり共有・消化できずに小さな違和感として残ってしまったのが正直なところだ。この映画が日本で受け入れられるのに20年かかったのは(80年代に作られています)、こういう精神風土の差異によるものかと思ってみたり。
それも含めて、様々なことを考えさせてくれる大変おもしろい作品(驚くべきことに笑いの要素もあります)だと思うので、絶賛上映中のこの機会にぜひ。

そして、最近知ったこの監督もグルジアの人だった。
オタール・イオセリアーニ『ここに幸あり』。

      

突然失職した初老の男が、日常の中に見つけるささやかな幸せ・・・なんていうと昨今流行のぬるめのヒーリングムービーかと思いきやさにあらず、もののわかった老監督は一味違います。なにものにも媚びず、飄々とローラースケートを乗りこなし、友と酒を酌み交わし、そして女を口説くのさ。イオセリアーニその人が壁や道に絵を描く老人として登場、小粋なハンチング帽姿で和ませてくれる。
『歌うつぐみがおりました』『素敵な歌と舟はゆく』『月曜日に乾杯!』などタイトルも愛らしい他の作品もぜひ観てみたい。

セルゲイ・パラジャーノフは隣国アルメニアの人だが、グルジア出身である。
最初の出会いは吟遊詩人の物語『アシク・ケリブ』。もうかれこれ20年ほど前(!)になるだろう、とある大学での解説付き上映会だった。
絢爛たる映像、溢れんばかりの甘美な音楽、呪文のようなセリフ回し・・・目がくらむような衝撃はいまだに忘れられない。後年観た『ざくろの色』、これがまたさらにすごかった。

      

「次々と繰り出される神秘的・官能的・挑発的・痙攣的な「絵」に観客はひたすら酔い痴れるしかない。」と安原顕は評したが、はい、まことにそのとおり。


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10歳前後くらいだろうか、つまり怒涛のマンガ読みになる直前だね。
動物の本を好んで読んでいた時期がある。教科書でもおなじみの、動物を主人公にした話をたくさん書いた椋鳩十が大好きだった。「犬はともだち」「ペットの飼い方」などのマニュアルっぽいものから、バザーで購入したポケットサイズの動物図鑑や、図書館で借りた野生の馬の写真集を飽かず眺めていたことも。
・・・いつしかすっかり疎遠になってしまいました・・・が、古典的名著コンラート・ローレンツの『ソロモンの指輪』、スティーヴン・ジェイ・グールドの『ワンダフル・ライフ』などはワクワクして読んだし、奇書と名高いシュテュンプケ『鼻行類』にそろそろ挑戦しようかしら・・・と、まあ要するに興味津々なれど有名どころしか知らんわけで、皆様のおすすめ「生き物がらみの不思議本・面白本」ぜひ教えていただきたいです。
まずは私から、思いつきで2点。

◆『素数ゼミの謎』吉村仁

これはたぶん子供向けですね。絵本です、ほとんど。とても面白かった。
やさしい口調と科学的な目線でもって生命の神秘、地球の不思議をほんのすこしおすそ分けしていただいた感じです。ごちそうさま。

◆『ぼくは猟師になった』千松信也

今日びの若者が猟師て。ワナ猟て。・・・ずいぶん変わった人だな、と思ってつい読んでみたところが予想以上の面白さ。
「自分で獲って、さばいて、食べる」ということがこれほど新鮮に感じられるのは、もはや非日常的行為である「狩猟」を写真付で詳細に記されたものめずらしさもあるけれど、「食べ物」という生きるために最も基本的なものさえ誰かに依存しなければならない自分に、不意打ち的に気付かされるからでしょうか。

(2009年3月10日記)