an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

文は人なり

仕事上での知合いの知合いというポジションで、京都の北のほうで活動している知的障害者作業所のHPブログを楽しみに読んでいる。
まだ30そこそこの若い施設長が担当していて、忙しいだろうに写真付でほぼ毎日更新されている。日々のメンバーさんとの他愛ないやりとりや、「ちょっといい話」みたいなものが面白おかしく綴られるのだが、福祉を生業にしている人にありがちな気負いや、ある種のくさみみたいなものが全くなく、現場にかかわる人ならではの視点とユーモアセンス光る文章に毎回感心しているのだ。
ちなみに私も職場HPに「スタッフコラム」なるものを書いて1年以上になるのだが、ほうほうの体で月に1回の更新がやっと、しかも内容は我ながら死ぬほどつまらない。「読者不在、反応ゼロ」という状態がこれほどモチベーションを低下させるとは知らなんだ。(・・・ってゆーかつまらないから読者がつかないだけでは・・?)
そのうち天声人語とかをパクってしまいそうでこわい。

・・・閑話休題。件のブログである時、この本を枕元において何度も繰り返し読んでいるというのを見つけて早速読んでみた。イマドキの快活そうな若者が山田太一(編)、しかもタイトルは『生きるかなしみ』。・・・意表をつくセレクトだ。

生きるかなしみ (こころの本)

生きるかなしみ (こころの本)

ここに書かれているのは、怒涛のような悲劇ではない。ごく私的なエピソードをとおして、誰もが生きているかぎり、人との関係を築いていくかぎり避けられない苦しいなにか(「かなしみ」という言葉がふさわしいかどうかも微妙)について書かれた数々の小品は、理知的なものもあれば、まるで深いため息かぼそぼそした呟きのようなものもあって多彩なのだが、全体的に抑制がきいて淡々とした印象だ。・・・にもかかわらず、いつまでもその余韻が消えないばかりかどんどん広がっていく。
山田太一「断念するということ」、杉山龍丸(←夢野久作の長男ですって!)「ふたつの悲しみ」、石原吉郎「望郷と海」、水上勉「親子の絆についての断想」などが、ことに心に沁みた。そうそう、永井荷風断腸亭日乗』の名文の一片に触れることができたのも収穫。

・・・そうですか。こういう本を愛読書にするような人でしたか。
知合いの知合いだから、いつか会えるかもしれないけれど、その前に上賀茂の作業所までオリジナル・ハーブ石鹸を買いに行こうかしらん。


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名うての読巧者たちを唸らせているとの噂、以前から耳にしておりましてよ、辻原さん(←なれなれしい・・)。最高傑作と謳われる辻原登著『遊動亭円木』を読んでみた。

遊動亭円木 (文春文庫)

遊動亭円木 (文春文庫)

不摂生がたたって盲の身となった落語家・遊動亭円木の行くところ、珍妙な人物現われ不思議なアクシデント起こり。脛に疵持つワケあり者がおりなす艶笑譚、といったところでしょうか。なんてことない日常の中、一瞬吹く風に心乱れる夢うつつのムード・・・それに気持ちよく浸れるところがこの小説の真骨頂でありましょう。
・・・というのも、狂言回しでもある円木が全盲ではなくて、薄ぼんやり見えているという半酔半醒のような舞台を予め設定している上、この病持ちでさえないおっさんがどことなく色っぽいんだな(笑)。
そういうところ、上手いなあと思います。蛇足ながら文庫版の堀江敏幸さんの解説もめちゃくちゃ上手い。
久世光彦さんの小説がお好きな方(あんまりいないだろうけど・・・)や川上弘美ファン(こっちは多いはず)にはけっこう楽しめる一作ではないでしょうか。

「わたしのこと、忘れたりしない?」
「忘れたり、思い出したり・・・・・・」
「いいの、それで。ありがとう。」

・・・円木さん、惚れた女に向ってそれは正直すぎる(笑)。

(2009年1月27日記)