an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

古本まつりあれこれ

さて、古本まつりの成果はやはり記しておきたい。
成果とはいっても、私はいわゆるの“古本マニア”では全然ないので、骨董価値の付くような本を探し出すスキルは持ち合わせておらず、そこらでフツーに売っている本ばかりを買うことになる。が、新品同様の美本ばかりを1冊500円そこそこで手に入れた私は近年にない満足感にホクホクしたのだった。


      



◆『棟梁』小川三夫 聞き書き:塩野米松◆

技を伝え、人を育てる 棟梁 (文春文庫)

技を伝え、人を育てる 棟梁 (文春文庫)

法隆寺最後の宮大工」として名高い故・西岡常一棟梁の後を引き継いだ小川三夫さんの聞き書きである本書は、方言のニュアンスもそのままに宮大工仕事の伝統の深さを真正面から率直に語ってくれる。
言葉こそシンプルだが、枝ぶりも豊かに真っすぐそびえる木のような印象を持つ人だ。彼が敬愛してやまない西岡棟梁も、きっとそういう人だったのだろう。
だいたい私は「古代人とサシで話ができそうな人」というのにめっぽう弱いのだ。
古くは折口信夫白川静、そして西岡棟梁も「奈良時代の宮大工と対話ができる人」だったという。
伝統を継承することの、凛とした厳しさと清々しさに驚嘆した一冊。


◆『リアスの海辺から』畠山重篤

リアスの海辺から

リアスの海辺から

三陸リアス式海岸の静かな入り江で牡蠣や帆立貝の養殖をしている漁民である」著者が、ひょんなことからリアス式海岸の「リアス」がスペイン語であることを知り、帆立貝を道しるべに聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラへと導かれてゆく自伝をまじえた旅エッセイだ。
海とともに育ち釣りに明け暮れた少年時代、苦労を重ねて貝の養殖を成功させたこと、折々に出会った忘れがたい人たち、そしてスペイン・ガリシア地方と三陸との思いがけないつながり。一つの小さなきっかけが道をどんどん広げてゆくさまがまことに爽快だし、海辺に生きる人たちの姿がリアルな描写でぐいぐい迫ってくる。
この本は90年代に書かれたものだけれど、ある潜水夫のことが書かれた章は、震災後の今読むとことに心に沁みる。気仙沼など海辺の町は水難事故が絶えない。その度にたった1人で遺体を引きあげにゆく人たちのことを地元では「潜りさま」と呼んでいるという。


◆『古本綺譚』出久根達郎

「この世にあって誰も見たことがないような本を掘りだしたいと、凄いような奇蹟を夢みているのが愛書家で、そういう本を入手して売って儲けたい、常にまじめに考えているのが古本屋なのである。で、そういう客とそういう古本屋が、時に妙なかたちで相対することがある。」
「楽しい厄日」と題された冒頭が示すように、古本屋店主であるところの著者がめぐりあった珍客とのエピソードを集めた、創作感あり(笑)の好エッセイだ。
ここで高ポイントとなるのは、「ちょっとヘン」というおさえどころであって、あからさまな異常人物だとかえって感興を削がれるのであり、そのさじ加減がさすがは手練れの出久根達郎である。
珍エピソードにさりげなく挿入されるワンシーンもこんな調子。

社務所無人で、私はその後側にある神主さんの居宅に向かった。
裏口にまわると奥さんらしい人が大きなかなだらいでキジ猫を洗っていた。
声をかけると奥さんと猫がギョッとしたように同時にふりむいた。
おかしなことにお互いにそっくりの顔をしているのだった。

ご存知の方も多いだろうが、たいていの猫は水をかけられるのをとても嫌がり、洗うとなると大騒ぎの大仕事なのである。こんなふうにおとなしく盥に入って洗われて、振り向いたら同じ顔。このシーンのとぼけた妙味が私のツボにジャストミート、淡々とした筆致がまたおかしい。
唯一「正真正銘の変な人」として、明治から昭和を生きた高名な精神病者葦原将軍(←通称)が登場するが、ここでも飄々とした筆が冴えわたり、クスクス笑いながら楽しめる。
いやあ、世の中ホントにおもしろい人がたくさんいるものですね。


◆『日本への遺言 福田恆存語録』◆

呆れるほど無知なので、少しは政治を勉強するべきだ思っている。(この度の選挙結果に愕然としたので尚更)しかるべき折には「正か否か」きちんと表明できるように。
で、最初の一歩として信用できる人が書いた、私でも読みとおせそうなものを一つ選んでみた。


・・・それにしても。
こうして並べてみると、何ですかこのおっちゃん趣味丸出しのチョイスは。 文藝春秋あたりの「私の愛読書コーナー」で中小企業経営者が取り上げそうじゃないか。
来年はぜひ「青年実業家」くらいに若返りたいと思う。



(2012年12月28日記)