an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

Drop me a line

・・・手紙を書かなくなってどれくらいになるだろう。
便箋を、ハガキをひとつひとつ選んで、ペンを持って書いて、住所を調べて、切手を貼って投函する、紙の手紙のことだ。
以前は時候の挨拶ハガキはもちろん、何かしら環境が変わるたびにすきあらば手紙を書いたものだった。ことに社会人になって間もない頃などはなかなか会えなくなってしまった人に、慣れない会社員ぶりを面白おかしく(本当は毎日半泣きだったのだが・・・苦笑)書き綴っては送りつけたりしていた。凝った絵ハガキをいつもストックしていたし、「まるで本人がしゃべっているようだ」と言われたその手紙は、おおむね好評を博していた(と、思う。たぶん)。

そう、手紙をもらうのはとてもうれしいもので、それはメールの比ではない。ちょっとした手書きのハガキ一枚で、一日気分よく過ごせたりすることだってある。一生忘れられない、大切な手紙をお持ちの方もきっと多いはず。
長く勤めた会社を辞める日、同期から寄書き風の短い手紙をたくさんもらった。たまたま手に取った手紙の最初の一行に大きく丁寧な字で、「よくがんばったね」と書いてあるのを見て、それまで張りつめていた気持ちが一気に弛んで、そうかそうか、がんばったか私・・・と、しばらく身動きできなくなってしまったことがある。
人の手を持って書かれたものは、書いた本人が思っている以上の力が作用することがあって(まぁ、好ましくない方へ作用することもよくあるわけですが)、なんでもない平凡な言葉が思わぬところで気持ちをぐっとほぐしてくれたり、ささやかなれど確かな支えになってくれたりする。そういう感覚を忘れたくないな、大事にしたいなと思っているというのに近年のこの筆不精ぶりは何(笑)。
ちょうどこの時期でありますし、懐かしいあの人へ久しぶりに軽く一筆。
改めまして・・・「暑中お見舞い申し上げます」


手紙の小説といえば・・・まず太宰治が大変得意としていたし、宮沢賢治の童話でも魅惑的な小道具のひとつとしてよく登場する。が、なんといっても漱石の『こころ』でしょう(読み返すたびに新たな発見があります)・・・等々あれこれ思い浮かびますが、ちょっと異色なところでこんなのはどうでしょう。『蟹工船』がベストセラーになるという昨今(草葉の陰で苦笑するか、多喜二)、プロレタリア・ホラーとでも呼びたい葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』。大変恐いので涼しくなりたい方はぜひ(笑)。

私は村上春樹の大ベストセラー小説『ノルウェイの森』を読んで辟易した者であるが(あの小説は心酔派と辟易派にわりとはっきり分かれそう)、主人公とその恋人が精神的に不安定になるにつれ、さかんに手紙のやりとりをするところはとても印象に残っている。「それは誰のせいでもないし、それは雨ふりのように誰にもとめることができないことなのだ」に象徴されるような、どうにもやりきれない物語ではあったけれど、会って伝えられない思いを手紙に託すもどかしさ、みたいなものが切実に感じられて、うまく説明はできないけれども、うん、若いときはこうでないとね、と思ったものである(笑)。
これだけネタに四苦八苦しているのにこの小説が映画化されないのは、ヘタに作ろうもんなら映倫R指定をくらって商売にならない上、春樹フリークの恨みをかうからかしら〜などと思っていたが、この度ベトナム出身のフランス人監督トラン・アン・ユンの手によって映画化のはこびとなったらしい。トラン・アン・ユンといえば、静謐さの中に水が滴るような透明なエロティシズム漂う傑作『青いパパイヤの香り』の人である。
・・・これは楽しみですねえ。

(2008年7月31日記)