an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

『わが師折口信夫』加藤守雄

その著作は、学生時代の古典演習で参考資料としてチラチラながめたに過ぎず、『死者の書』はもう何度も挫折している。・・・にもかかわらず、どういうわけだか昔から折口信夫という人に興味がある。独特の言葉を用いて、なにやらフシギなことばかり言う人である。中沢新一は彼を「古代人の心を知る人」だという。・・・なるほど、容易に近づけないわけだ。あの難解にしてミステリアスな短歌の数々は、古代人との交流の産物だろうか。(故・白川静も古代人と交流のできる人だったに違いない。そういう人が日本からどんどんいなくなってしまう・・・)

ところで折口信夫には藤井春洋という弟子がいて、師の衣食住から仕事周りのことまで一切の世話をし、公私にわたって伴侶(といっていいと思う)として生活をともにした。自分の人生を折口信夫に捧げ、そして若くして硫黄島で戦死した。
・・・学問や芸術の世界には時々こういう人がいて私を困惑させる。一体これはどういう力が作用しているのだろう。献身的な師弟愛とか涙ぐましい自己犠牲とか、ましてや同性愛なんぞといった湿っぽいものでなく、もっと無機質でさらさらした感情・・・そして彼を捉えて離さなかった、(尊敬すべき学問上での思想以外に)折口信夫の持つ得体の知れない何か大きなもの。なんだろうそれは・・・と思いをめぐらしていると、次のような一節に出くわした。

先生の前では、まやかしも言い訳も通用しなかった。いやでも裸の自分をさらけ出すよりない。そして、自分の欲望の貧しさ、卑しさを恥じた。
金魚の糞と笑われても、自分を見失ってしまうぞとおどされても、失うものよりも得るものの方が大きい以上、仕方がないと思った。先生と接している時、私は素直になり、単純になれた。そして、そういう自分に、いちばん信頼が持てた。

・・・果たして私は一生のうちにこんなふうに言える出会いがあるだろうか。

さて本書は、実は折口信夫セクシュアリティを最初に暴露した本として知られている。だがそういうゴシップ的な面より、息詰まるような愛憎を孕む師弟関係と折口信夫の特異な人物像を、関西弁の妙と様々なエピソードで細部にわたって再現されていて、非常に興味深い読み物となっている。そして、硫黄島で亡くなった青年たちの中に、藤井春洋のような人がいたことも知ってほしいと思う。
これから折口信夫の著作(難物ですぞ)を読むぞ!と思っている方へ最初の一歩として本書をおすすめいたします。
(2007.1.18記)


>追記
こちらもおもしろかったです。