an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

『蜜のあわれ』室生犀星

全編対話のみという手法を用いて、老作家と金魚の化身たる少女との交流を描く『蜜のあわれ』・・・おお、これは川端康成谷崎潤一郎へと続く老人文学の王道であるところの、エロスとタナトスが妖しく交錯する世界では。さぞかし艶っぽい物語が繰り広げられるのであろうと期待は高まるのである。
・・・違う。この小説、なんか変(笑)。「おじさま」のおしゃべりはなんだか唐突で、そこはかとなく滑稽で、フェティッシュな雰囲気を漂わせるもエロスにまで昇華していないような気がする。老作家の小さな妄想の泡がふわふわと好き勝手に浮遊しているような、とらえどころのない実に奇妙な小説だ。金魚少女はちょっぴりエロなことを言ったりもするけれど、それは長く余韻を残すこともなく、妖しい物語を紡ぐこともなく、このシュールな会話劇は幕を閉じるのである。

『われはうたえどもやぶれかぶれ』・・・自身の闘病記であり、冒頭から病のために尿の出ない苦しさを延々と記し、痛々しい思いで読みすすめていくと、これがまた一筋縄ではいかない。治療の順番をめぐって他の患者とガンをとばしあったり、コバルト放射治療中に「こういう時はおんなのことを考えるのが一等だという考えで、私はおんなのことをあれこれ頭にうかべた」り、カテーテル挿入の際に刈られた毛(!)を返せ、と看護婦とやりあったり、凄絶な闘病記のつもりで読んでいるのに、腰砕けなエピソードに思わず脱力。
・・・人間ってえのは歳をとって死にかけている時でさえ、こんなくだらねぇことばかり考えるもんなんだよなぁ・・・とため息まじりにつぶやいているような、2作ともそんな印象を持ってしまった。
人より苦しんだ分、いろいろなことを知って、現実にはないものまで見えたり聞こえたりするようになった。それを書いた。そして最後は「やぶれかぶれ」なニヒリスト爺。・・・教科書でおなじみの哀切な詩でしか室生犀星を知らない方、ぜひ読んでみてください。

おじさんの生きる月日があとに詰まってたくさんないんだもの、だから世間なんて構っていられないんだ。嗤おうとする奴に嗤ってもらい、許してくれる者には許してもらうだけなんだよ。

(2007.6.19記)


>追記
室生犀星・・・この人もじっくり読みたい1人。