an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

SPレコード蒐集奇談

さて、まずは岡田則夫の快著『SPレコード蒐集奇談』を紹介したい。

著者がSPレコード蒐集に目覚めたきっかけは、正岡容の著作にふれたことだという。
正岡容は落語など寄席芸能の研究家で、多くの評論・台本・小説などを書いた。
「四十数冊の著書はどれを読んでも比類なき博識と確かな鑑賞眼、それに特異なまでの寄席演芸に対する愛情が行間ににじみ出ている。」・・・正岡の著作にすっかり魅了され、古本あさりをするようになったのが16歳の頃だというから渋い少年だ。

そうそう、正岡容といえば金子光晴の『どくろ杯』でこんなふうに登場した。

彼は、なにしろほどよく眺めていられない性格で、熱中すると、理否もかまわず飛込んでいく若者だったが、東京人の癖で、冷却もまた早かった。

もちろん一筋縄でいかぬ曲者で、生活苦や女絡みの揉め事など心労が重なり「アル中ぎみで手先がふるえた。顔もすさんで、若いのに赭ら顔になってきた」というところで、中島らもの傑作アル中小説『今夜、すべてのバーで』の主人公の名が小島容だったよな・・・なんてことも思い出しつつ、詩人の眼がとらえた友人の姿をもう少し紹介しよう。

正岡は、本来正直で気の小さい、それだけに感情の起伏が激しく、友達に絶交状を出したあとで、すぐ取り消しの手紙を書くような男だった。通称ジャズと言われるだけあって、にぎやかで、かっ、かっ、かっと咳き込むような引き笑いをすることが特徴で、姿がみえないでも彼が来ていることはすぐわかった。神棚に御燈明をあげたり、猫が好きだったり、ものの崇りや雷獣や幽霊を信じこんだり、我々の交際のなかにはないなにかいじらしさのようなものが、随分迷惑なことがあっても見放しっぱなしにできない一徳をもっていた。

フフフ・・・なんかこういう人知ってるような気がするよ・・・おっと話がそれた、先へ進もう。

正岡容の著作に登場する落語や演芸を実際に聴いてみたい。その一心でSPレコード(私たちが知っているLPレコードではなく、蓄音機でかける古いレコードのことです)を求めて日本全国津々浦々の古道具店や骨董店を駆け巡ること四十五年。
最初のうちは寄席音曲、漫才、講談、浪花節、色物が中心だったのが、そのうち歌舞伎、新国劇など演劇もの、明治・大正の流行り唄や書生節、流行歌、民謡、童謡から端唄、小唄や義太夫長唄、清元などの三味線もの、さらにはCMソングやチンドン屋の演奏や口上、パチンコ店や映画館の場内放送、珠算の読み上げや模範朗読、語学練習、政治家・軍人・実業家の講演、高僧の説教、戦時中の敵機爆音レコードなど際限なく拡大していった・・・とのことだが、ずらずらと連なるこれらの項目を読み進めるうちに思わず含み笑いが漏れてしまった。そんなわけのわからないモノを集めて喜んでいるなんて・・・著者は私の父親と同世代だが、まったくなんておもしろい人なんだ。

東寺の蚤の市「弘法さん」へは数えきれないくらい行っているが、レコード・マニアたちが夜明け前から(!)誰よりも早く懐中電灯を持って物色しているなどとは初めて知った(そして呆れた。笑)。実はそういう人はけっこういるらしく、彼らは仕事の合間をぬっては遠征に繰り出す。見知らぬ町で、電話帳に載っている古道具屋さんにかたっぱしから電話をかけ、道に迷いながら炎天下を歩き続け、一癖も二癖もある店主とやりあい(何が店主の気に障るかわからない。スリリング!)、重いレコードとともに至福の思いで、あるいはがっくり落胆しながら帰途につくのだ。
SPレコードがある町」の目安になったのは「戦災に遭っていないこじんまりした古い町で、花街が栄えたところなら尚けっこう」というもので、確かに著者が選んだ町は歴史があって古い文化の香りがするところばかり・・・岐阜県美濃や福井県武生、大分県日田などはぜひ行ってみたいと思う。
本書は個人的な趣味の体験記にすぎないはずものが、多くの仲間や古道具店主らとのユーモアあふれる交友録になり、そして各土地の文化風土や歴史を魅力的に描いた読み応えのある旅行記にもなった。軽快かつ端正な文章は、サクサクいくらでも食べられるクッキーのようだ。読み出したら止まらない。
未知の土地で眠っているはずの珍盤を求めてコレクターは今日も行く。
ああなんという情熱、そしてなんと幸せな人たちだろう!


では最後に、思わぬ貴重盤に出会った時のシーンを紹介しよう。

「うわぁー、よくあったなー。」背中にツツツツと“エレキ”が走った。
私は薄暗い蔵にわずかに入る光にレーベルをかざして、しばらくこの盤を持ってじっと酔いしれていた。古音盤特有の黄色の薔薇の香りにも似たシェラックの甘い匂いが鼻孔を刺激する。
クロロホルムを嗅がされて気が朦朧となったような気持である。

・・・感激のあまりラリっていらっしゃいます。
SPレコードって何さ?という私のような人でも大いに楽しめるはずの本作、力を込めておすすめいたします。「思いがけず巡り会う快感」を著者と一緒に味わってみませんか。


(2013年3月19日記)