そんな「いつものとおりの時間」に死んだ友人の細君のおふささんがやってきて、主人が生前に預けた本やレコードの盤を返してくれ、と言うのである。憶えがないものでも探せばちゃんとある。友人はそんな細かなことを言い残すような人物ではなかったのに。おふささんに死者の姿が重なり、「何だかぞっとする気持であった」。
淡々と日常のヒトコマを描いているようで、不意に得体の知れない不安に包まれるような(この唐突なラストシーン!)、薄気味悪い読後感が残る不思議な作品である。
内田百輭、うわさどおりなかなか食えない親爺のようだ。
鈴木清順の撮った『ツィゴイネルワイゼン』(不覚にも未見)もよろしかろうが、この作品のビジュアル化にはぜひともつげ義春でお願いしたいところ。
(2006.7.7記)
>追記
百輭には本当にいろんなテイストの作品がありますが、「恐い系」ではこちらもどうぞ。