an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

『サラサーテの盤』内田百輭

まだいくらか昼の光が残ってはいるが、夜の気配がつい足元まで忍び寄る夕暮れ・・・私にとっては昼間ささくれ立った神経が徐々に解れて、疲労と安心が入り混じる心地よい時である。しかし、精神科医中井久夫氏も記しているように、精神を病む者にとってこの時間は些細なことに神経が震えて不安定になりやすく、それを彼は<逢魔が時>とよんでいた。
そんな「いつものとおりの時間」に死んだ友人の細君のおふささんがやってきて、主人が生前に預けた本やレコードの盤を返してくれ、と言うのである。憶えがないものでも探せばちゃんとある。友人はそんな細かなことを言い残すような人物ではなかったのに。おふささんに死者の姿が重なり、「何だかぞっとする気持であった」。
淡々と日常のヒトコマを描いているようで、不意に得体の知れない不安に包まれるような(この唐突なラストシーン!)、薄気味悪い読後感が残る不思議な作品である。
内田百輭、うわさどおりなかなか食えない親爺のようだ。

鈴木清順の撮った『ツィゴイネルワイゼン』(不覚にも未見)もよろしかろうが、この作品のビジュアル化にはぜひともつげ義春でお願いしたいところ。
(2006.7.7記)


>追記
百輭には本当にいろんなテイストの作品がありますが、「恐い系」ではこちらもどうぞ。