このへそ曲がり親爺にそこまで言わせる作品とは。
江戸川乱歩や横溝正史、あるいは山岸凉子などの作品が時としてトラウマティックな恐怖の記憶として残るのは何故だろう。・・・時代の空気かなぁ・・・昔の話って怖いですもんね。
異形の者、姿かたちが異質の者に対して私たちは本能的に目をそむける。そこには理屈も物語もなく、ただ不安で不快な嫌悪の感情があるだけだ。そして、絶えず後ろめたさがつきまとう。見世物小屋の後ろめたさですよ、まさに。
ひらがなばかりの日記のなんという凶々しさ。
それでいてこの作品は、ある事件を探って解決していくという興奮すべき推理小説でもあるのです。見たくないけど、見たい・・・妖しい不安が交錯する乱歩の世界、これは、この時代でしか書けない。筒井康隆の野望、破れたり。
う〜ん、今回は少し言葉不足。まず一読ください。
「人権を蹂躙した悪趣味で不愉快なシロモノ」と感じるか、それとも「恐怖の根源を垣間見せるエンタテイメントの極」と感じるか。貴方のセンスが問われます。
(2006.5.20記)
>追記
現在でも盛んに漫画化されたり映画化されたりする乱歩。
今の作家には書けない、何かがある。
こちらもぜひ。