an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

父の書斎

アン・ポンタことわたくしの父の話である。

今となっては信じられないことだが、悩み多きその昔、眉間にしわ寄せ「試行」を読み「荒地」を読み、詩作をものし、同人誌のメンバーとなり、あまつさえ本の何冊かも出版してしまうという、堂々たる文学青年崩れなのだった。
そういうわけで、ウチには「父の書斎」というものがあり、そこには本がたくさんある。
たくさんあるのだが。・・・それが日本文学全集・古典文学大系ってな類のものであったなら、私もまっとうな文学少女となり、長じては国語教師くらいにはなっていたかもしれないのだが。
然るに本棚を覗いてみると・・・太宰治宮沢賢治寺山修司中上健次柳田國男。・・・ここまでは、まあ普通。・・・吉本隆明田村隆一鮎川信夫石原吉郎北川透清水昶佐々木幹郎村上一郎谷川雁埴谷雄高・・・あ、もういいですか(笑)。
さらにどういうわけだかノンフィクションのキーワードはこの3つ、「2・26事件」と「被差別部落」と「ハンセン病」である。何かよくないモノが憑いてそうな『北一輝 霊告日記』だの『二・二六事件−獄中手記・遺書』だのといった本が鎮座しているのである。ああ、どす黒いこの感じ。ホントに私の親父か(笑)?ってゆーか、ホントにこんなの読んでるのか?

で、ホントに読んでるのか?といえば先日芥川賞を受賞された、あのべっぴんさんである。 彼女の受賞インタビューを読んでいたら、ナニ、『死霊』は哲学と詩を同時にやった小説であると。読んで「感激した」と。そうですか、埴谷雄高の『死霊』を読みましたか。 ・・・って本当か、姉さん!!!
あいにく私は、あの小説の字面だけおって読んだつもりになり、したり顔で面白いの面白くないのいう人を信用しない。『死霊』が、そんな簡単に読めてたまるか。
もちろん私は身の程をわきまえているので、いきなり手を出したりはしない。ETV特集埴谷雄高・独白「死霊」の世界』を見て、ご本人にまず解説していただきましたわ(笑)。何故そんなものを見たかというと、書斎に録画ビデオが転がっていたからである。あなどり難し父の書斎。
作家・井上光晴を追ったドキュメンタリー映画全身小説家』をご覧になった方はご存知だろうが、埴谷雄高は大変おしゃべりな人である。大声で、身を乗り出すようにしてしゃべる。その発言というのが完全に電波な人のそれで、可笑しい。壮大におかしい。
なんて奇天烈なものの考え方をする人なんだろうと思う。だが、そこまで。その哲学の核心にはとうてい近づけない。おそるおそるツッコミを試みたのは、せいぜい下記の発言ぐらいでした・・・。

「僕はねぇ、ドストエフスキーや武田(泰淳)と違って、女は思索の支えにはならないと思ってるの」(注:うろ覚えなので正確でないかもしれませんが、だいたいこんなニュアンス)

・・・それは、たぶんそのとおりだと思いますが、若干の異論がありますので、後でゆっくり話し合いましょう、埴谷さん。

(2008年2月20日記)